『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.124

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吉英母は上にをなし, ○秀政ノ墓ハ、京都本國寺ニアリ、, 位下右京大夫に敍任す, 慶長九年、東照宮の仰によりて、父か住せし, り、豐臣太閤に仕へて、和泉國岸和田の城を賜て領す、, れたれは、幼より相親しみ、其後秀吉につかへて、奉公の勞を重しかは、終, 出石の城をたまひ、六萬石を領し、後、叔父三尹に一萬石を分ち與ふ、十七, 〔小出秀政墓銘〕本光院殿前播州大守陽雲日政皆靈, に岸和田の城玉ひしとそ、按するに、岸和田を給りしは、天正十二年の後, 領す、四年龍野をあらため、但馬國出石城にうつり、六萬石を賜ふ、慶長五, 年、大和守にあらたむ, 天正十五年、大阪に生る、文祿二年、從五, 其先祖詳ならぬよしを申也、或人云、秀政尾州中村の人、秀吉と同所に生, なるへし、夫まては、中村式部少輔一氏此城に有し事、創業記にみへたり、, 吉政も事故なく本領を安堵す、九年遺領を繼、岸和田城に移り、三, 萬石を領し、出石城は、嫡子吉英にたまふ、, 〔藩翰譜〕〓小出播磨守藤原秀政は, 五郎左衞門尉政重か男な, 年, 慶長九年三月二十二日, 助治明か女, ○伊東掃部, 甚左衞門, 時に, 七歳, 初の字ハ, 略, ○中, 秀吉ト秀, 政トノ縁, 小出秀政, 小出吉英, 故, 一二四

割注

  • 助治明か女
  • ○伊東掃部
  • 甚左衞門
  • 時に
  • 七歳
  • 初の字ハ
  • ○中

頭注

  • 秀吉ト秀
  • 政トノ縁
  • 小出秀政
  • 小出吉英

ノンブル

  • 一二四

注記 (34)

  • 1446,669,58,695吉英母は上にをなし
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