『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.125

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〔淺野考譜〕1長政, 等に與へたる場所に之を建てたり、, は戰爭終りて後、之を其船に積みて大坂に運び、同所に著きて、羽柴が其城下に於て我, し、其兵士等に命じて、同所より三レグワの海岸に運ばしめたり、而してアグスチニヨ, 我等の主が御慈悲を垂れ給ひしものにして、ジュストは自ら經費を負擔して、之を取壊, 〔寛政重修諸家譜〕, 余は之を與ふべしと言へり、此事は教會の好評とキリシタンの名譽と敵の抑壓の爲め、, ○以下從軍諸將士ノコトニカヽル、, 出し防之、此時長吉先駈ケしすゝむ、相續て田中筑後守・堀久太郎等急ニ拉之、城兵, 千石堀・積善寺・濱に城を構て拒之、秀吉の猶子中納言秀次に差添て、一方の將とし、, 淺野長政, 十三年、和泉・紀伊兩國に兵を出すにより、其事にあつかる、, パードレに與ふるの意無きかを尋ねたれば、彼は之に答へて、汝も亦パードレなれば、, 又舍弟大和大納言秀長を一方の將として既に根來寺に押入る時に、石堀の砦より兵を, 一、同年秀吉紀州に發向して、根來寺を撃んとす、僧徒等聞之、泉州岸の和田の邊りにて、, ル、本年四月二十二日ノ條ニ收ム、, 彈正少弼、, 彌兵衞、, ○下略、秀吉、太田攻圍ノコトニカ, 三百, ○上, 下略, 九, 淺野長吉, 天正十三年三月二十一日, 一二五

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  • ル、本年四月二十二日ノ條ニ收ム、
  • 彈正少弼、
  • 彌兵衞、
  • ○下略、秀吉、太田攻圍ノコトニカ
  • 三百
  • ○上
  • 下略

頭注

  • 淺野長吉

  • 天正十三年三月二十一日

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  • 一二五

注記 (26)

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