『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.214

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

〔參考〕, 慰のためとて、鷹匠等を遣され、何くにても御心次第に、鷹狩なとなされ、扨, 馳走場ヘ立歸リシニ、殊ノ外早ク御返リニテ、御玄關ヘ御出アレ共、從士一, 江戸に落付給ふ時こに、使者を遣され、秀忠公自身御むかひとして出給ふ, 人モ居合サス、呼ニ遣シ候ヘト仰ラルヽウチ、御見送ノ老中ヨリ指圖シテ、, 旅館となされ、あるひき一兩日、又き五七日つゝの御滯留にて、御歸り有け, 或き其旗本之歴々、又は御老臣をして、安否を問わしめ給ひ、御馳走たくひ, る體たらく、殊之外かろく有ける故、諸人共、いかさますくれし御器量と感, なかりし故、天下之面々、其威勢に服せさるはなし、江戸御滯留中、御屋敷等, 當直ノ兩番ノ士數人ニ命シ、供奉シテ二ノ丸ヘ送リ申サル、, 忠公より、御目付中に仰付られ、道中宿々におゐても掃除等をなし、道中御, も〓てられすして、江戸へ御越候たひ毎に、大久保加賀守忠住之屋敷を、御, 〔越前黄門年譜〕秀康卿常に武州に往來し給ふ時にき、大神君、ならひに秀, 二十一日, 申ける、, 將軍家康、淺野幸長ノ第ニ臨ム、, ユ, 、辛, 父子ノ殊, 秀康將軍, 秀康ノ旅, 遇ヲ受ク, 館, 慶長九年四月二十一日, 二一四

割注

  • 、辛

頭注

  • 父子ノ殊
  • 秀康將軍
  • 秀康ノ旅
  • 遇ヲ受ク

  • 慶長九年四月二十一日

ノンブル

  • 二一四

注記 (25)

  • 1455,828,73,207〔參考〕
  • 1100,643,68,2222慰のためとて、鷹匠等を遣され、何くにても御心次第に、鷹狩なとなされ、扨
  • 1805,644,69,2201馳走場ヘ立歸リシニ、殊ノ外早ク御返リニテ、御玄關ヘ御出アレ共、從士一
  • 984,648,65,2228江戸に落付給ふ時こに、使者を遣され、秀忠公自身御むかひとして出給ふ
  • 1692,650,61,2228人モ居合サス、呼ニ遣シ候ヘト仰ラルヽウチ、御見送ノ老中ヨリ指圖シテ、
  • 513,644,67,2221旅館となされ、あるひき一兩日、又き五七日つゝの御滯留にて、御歸り有け
  • 865,646,67,2219或き其旗本之歴々、又は御老臣をして、安否を問わしめ給ひ、御馳走たくひ
  • 399,647,61,2220る體たらく、殊之外かろく有ける故、諸人共、いかさますくれし御器量と感
  • 749,656,62,2213なかりし故、天下之面々、其威勢に服せさるはなし、江戸御滯留中、御屋敷等
  • 1579,649,60,1803當直ノ兩番ノ士數人ニ命シ、供奉シテ二ノ丸ヘ送リ申サル、
  • 1218,648,68,2220忠公より、御目付中に仰付られ、道中宿々におゐても掃除等をなし、道中御
  • 630,655,64,2219も〓てられすして、江戸へ御越候たひ毎に、大久保加賀守忠住之屋敷を、御
  • 1322,602,106,2272〔越前黄門年譜〕秀康卿常に武州に往來し給ふ時にき、大神君、ならひに秀
  • 154,567,72,289二十一日
  • 287,644,49,209申ける、
  • 154,925,76,1013將軍家康、淺野幸長ノ第ニ臨ム、
  • 146,876,45,42
  • 194,863,39,54、辛
  • 1341,285,43,170父子ノ殊
  • 1387,285,42,170秀康將軍
  • 780,284,40,170秀康ノ旅
  • 1297,283,42,168遇ヲ受ク
  • 737,283,40,41
  • 1930,721,46,422慶長九年四月二十一日
  • 1925,2456,41,118二一四

類似アイテム