『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.878

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名譽を得たり、, 淺岡以來其道の達者、追々に先輩の通矢を射越て、是を惣一と號す、世の諺, には、是を弓の天下と呼ふ、, へ達すれは、則堂見の方より役人を出し、櫓の上より摩を振て通矢を定む、, 於て、其弓勢を試み初しより、相續て天下の諸士、是を勵み競ふ事に成て、其, 條アリ、參看スベシ、, 傍にて芝矢を稽古し、而して彼堂に登、一筋にても通矢有るを帳前と號し、, 仕細川玄旨、天正年中、以根矢、通蓮華王院、此根矢數の始也、又曰、慶長十一年、, 正月十九日、石堂竹林弟子淺岡平兵衞と言者、始て矢五十一筋を射通して、, 夫より百射千射、同矢數と、面々が望に任し、弓勢を樣す、其度々堂見松井某, 初たる也、伴喜右衞門一安は、從吉田雪荷入道得射妙改道雪、始居丹後田邊、, ○忠吉ノ臣上田角左衞門、通矢ヲ試ミルコト、十二年二月十七日ニ其, 三間堂にて椽側へしさつて堂射通し初たるは、吉田印西といふ人、射通し, 〔雜録〕矢數の濫觴は、慶長十一年、淺岡平兵衞と云ふ士、洛東三十三間堂に, 大場景重傳書に曰、三十, 〔笈埃隨筆〕一矢數, ○上略、矢數ノ起リノ事二, 係力ル、遠碧軒記ニ同ジ、, ○下, 略, 根矢數ノ, 帳前, 始, 芝失, 射通シ初, 堂見, 惣一, 慶長十一年正月十九日, 八七八

割注

  • ○上略、矢數ノ起リノ事二
  • 係力ル、遠碧軒記ニ同ジ、
  • ○下

頭注

  • 根矢數ノ
  • 帳前
  • 芝失
  • 射通シ初
  • 堂見
  • 惣一

  • 慶長十一年正月十九日

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  • 八七八

注記 (29)

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