『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.877

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

より事起りける、, て、五十一本を通して、名譽を世にあらはす、是より矢數を爭ふ人多く成、, 三十三間堂弓矢の道場とは成しと也、, 代射術の一ツと成けり、京、伏見繁昌の頃、遠矢稽古の爲に、青塚を射こして, ゟ、遠矢を止て數矢とせり、慶長十一年に、淺岡氏平兵衞始て直發五十箭を, し添て、一間も遠矢を勝とせし、尾州の士上野氏小左衞門、三十間延て射し, 源太初るといふ、後に東山今熊野觀音別當射始しと云傳ふ、近代武家に, 通せしゟ、次第に數まさりて、八千餘を通す事にはなりぬ、, 半餘、此間を軒にも縁にもさりらす、六十六間を射通すを通し矢と云、是近, 試みける、或時急雨にて此堂に雨やとりしける、然にふと慰に射通しける, し、俗に三十三間堂と云、實は六十六間なり、此堂の軒下と高縁との間、二間, て射始しき、慶長十一丙午年、正月十九日、石堂竹林弟子の淺岡五兵衞始, 増譽曰、通し矢の起元、其説々多しで詳ならす、後白河帝、保元の亂に、蕪坂, て時々射ける、是に習ひて、射藝の士遠矢を射ける、一縁つゝ南へ縁を繼出, 明良洪範〕八堂一の事、洛陽蓮花王院は、後白河院、平清盛に勅し建立有, 慶長十一年正月十九日, ○和漢三才圖, 會大略同ジ, ○中, 略, 起元ニツ, 通し矢ノ, キテノ説, 弓矢ノ道, 通し矢, メテ數矢, トス, 遠矢ヲ〓, 場, 八七七

割注

  • ○和漢三才圖
  • 會大略同ジ
  • ○中

頭注

  • 起元ニツ
  • 通し矢ノ
  • キテノ説
  • 弓矢ノ道
  • 通し矢
  • メテ數矢
  • トス
  • 遠矢ヲ〓

ノンブル

  • 八七七

注記 (30)

  • 877,644,55,493より事起りける、
  • 406,713,60,2155て、五十一本を通して、名譽を世にあらはす、是より矢數を爭ふ人多く成、
  • 287,714,58,1144三十三間堂弓矢の道場とは成しと也、
  • 1110,640,59,2215代射術の一ツと成けり、京、伏見繁昌の頃、遠矢稽古の爲に、青塚を射こして
  • 1700,643,59,2221ゟ、遠矢を止て數矢とせり、慶長十一年に、淺岡氏平兵衞始て直發五十箭を
  • 1817,649,60,2216し添て、一間も遠矢を勝とせし、尾州の士上野氏小左衞門、三十間延て射し
  • 641,709,60,2150源太初るといふ、後に東山今熊野觀音別當射始しと云傳ふ、近代武家に
  • 1583,646,56,1726通せしゟ、次第に數まさりて、八千餘を通す事にはなりぬ、
  • 1229,642,57,2219半餘、此間を軒にも縁にもさりらす、六十六間を射通すを通し矢と云、是近
  • 994,641,59,2216試みける、或時急雨にて此堂に雨やとりしける、然にふと慰に射通しける
  • 1344,648,59,2215し、俗に三十三間堂と云、實は六十六間なり、此堂の軒下と高縁との間、二間
  • 522,714,60,2148て射始しき、慶長十一丙午年、正月十九日、石堂竹林弟子の淺岡五兵衞始
  • 757,708,61,2147増譽曰、通し矢の起元、其説々多しで詳ならす、後白河帝、保元の亂に、蕪坂
  • 1934,649,60,2213て時々射ける、是に習ひて、射藝の士遠矢を射ける、一縁つゝ南へ縁を繼出
  • 1440,613,104,2252明良洪範〕八堂一の事、洛陽蓮花王院は、後白河院、平清盛に勅し建立有
  • 183,711,44,426慶長十一年正月十九日
  • 321,1877,42,397○和漢三才圖
  • 274,1874,43,328會大略同ジ
  • 905,1153,40,113○中
  • 862,1152,38,39
  • 745,276,41,167起元ニツ
  • 788,278,42,166通し矢ノ
  • 701,282,42,168キテノ説
  • 316,278,45,170弓矢ノ道
  • 1239,280,40,124通し矢
  • 1701,286,43,164メテ數矢
  • 1664,285,31,72トス
  • 1746,281,42,169遠矢ヲ〓
  • 273,277,42,41
  • 189,2442,42,119八七七

類似アイテム