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めされて御〓下に列す、慶長五年, 法名宗嚴、かの地の中宮寺に葬る、, に閑居す、文祿三年東照宮に拜〓し、手錬せし劒術のことを言上せしか, これか案内者となる、のち病にかゝり、つかへを辭し、剃髮して柳生の庄, 定次とゝもに示し合せ、處士をあつめて忠節をつくすへきのよし、七月, 嚴勝柳生の庄を領し、筒井順慶とよしみをあはせ、のちゆへありて本領, り、男宗矩を御使として、筒井順齋某をつかはさるゝにより、筒井伊賀守, 書を下され、かつその術をなかく家につたへて、をこたるへからさるの, は、その術を傳へたてまつるへき旨仰をかうふり、五月三日、御誓詞の御, よし鈞命を蒙る、慶長五年石田三戌叛逆のとき、下野國小山の御旅館よ, 田勝家、瀧川一盆、佐久間信盛等をして、大和國にいらしむるのとき、宗嚴, をさり、他國に經歴し、某年死す、年六十五、, 二十九日御書をたまはる、十一年四月十九日、柳生にをいて死す、年八十, 凱旋のゝち、舊領柳生の庄をたま, 宗矩母は興原遠江守助豐か女、元龜二年生る、文祿三年東照宮に拜〓し、, 字柳生下法徳寺, 慶長十一年四月十九日, ○奈良縣囘答書ニヨレハ、中宮寺ハ、今, ○中, 廢寺トナリ、宗嚴ノ菩提所ハ、柳生村大, 略, 字柳生下法徳寺, 嚴勝, 家康劒法, 宗矩, ヲ宗嚴二, 受ク, 慶長十一年四月十九日, 一一
割注
- ○奈良縣囘答書ニヨレハ、中宮寺ハ、今
- ○中
- 廢寺トナリ、宗嚴ノ菩提所ハ、柳生村大
- 略
- 字柳生下法徳寺
頭注
- 嚴勝
- 家康劒法
- 宗矩
- ヲ宗嚴二
- 受ク
柱
- 慶長十一年四月十九日
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- 一一
注記 (29)
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