『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.71

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に由るとそ, 家、秀規、父子の墓あり、石垣を二重にめくらし、中に櫻の老木あり、當時植し, しならんも、今は詳にしかたし、明治二年、朝廷恩典を下され、東京にめし還, 力ナシト云テ可ナリ、, り、大賀郷の北端まての距離、僅に八九町に過きす、此大賀郷と、三根村とを、, 大賀郷は、島の南部にて、南は海に臨み、村は北へ長く延ひ、三根村の南端よ, 甲午の書上帳には、浮田家十戸五百十二人とあり、にれよりの後、なほ増せ, の入り口に、楊梅原といふあり、路はたより少し入りこみたる所に、浮田秀, ものなりといひ傳ふ、島人は浮田櫻とゝなへ、花は八重にして、いと美しき, よし、伊豆七島記にはいへり、墓石の新らしく見ゆるは、四五年前改築せし, の渡海すと、伊豆七島記に見へたるが、後此子孫大に戸口を増し、安永三年, 坂下二ケ村といひ、樫立、中之郷、末吉をは、坂上三ケ村とよふとかや、大賀郷, ト云ベカラズ、斯ク臭ヲ萬年ニ遺スウヘハ、其人爲朝ニ及バズ、此歌最モ氣, 秀家、島に流罪のとき、主從十三人、上乘渡邊織部といふも, 〔伊豆島巡視日録〕三九日, コノ歌、爲朝ノ嫡孫今ニツヾキタルヲ賞セシナリト、因テ知ル、秀家ハ英雄, けふも天氣よけれは、大賀郷に赴く、, ○明治二, 十年五月, ○中, 略, ノ墓, 楊梅原, 明治二年, 浮田櫻, 物評, 秀家父子, 宇喜多, 秀家ノ人, 慶長十一年四月是月, 七一

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  • ○明治二
  • 十年五月
  • ○中

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  • ノ墓
  • 楊梅原
  • 明治二年
  • 浮田櫻
  • 物評
  • 秀家父子
  • 宇喜多
  • 秀家ノ人

  • 慶長十一年四月是月

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  • 七一

注記 (31)

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