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ふ、十一年七月十三日、駿府にをいて死す、年七十五、法名教傳、かの地有渡, とゝまり、石川日向守家成とゝもに西城を守衞す、のち駿府に御座をう, つさるるにより、忠政もかの地にをいて、居所の地、及ひ御殿兩宇をたま, にすか〓たてまつり、しは〳〵軍事をつとめ戰功あり、永祿六年、本願寺, 御感の上意をかうふる、其後致仕し、天正十八年關東御入國のゝちも、よ, り〳〵めされて營にのほる、慶長五年關原の役には、仰によりて江戸に, ろし、事ゆへなく御使をつとめ、三河國に歸り、このことを言上せしかは、, の門徒蜂起のとき、御使をうけたまはりて、伊勢國におもむくの處、海賊, 船路をさへきる、こゝにをいて、みつから鐵炮をはなち、其魁首をうちこ, 忠政内藤甚五左衞門某, か四男、母は某氏、若年より東照宮, 政次, 内藤美濃守正國か祖、, 内藤仁兵衞正房か祖、, 慶長十一年七月十三日, 女子母は某氏、小宮山長兵衞吉次か妻, 「, 紀伊家御附屬, 家臣譜に忠郷、, 彌三郎、修理亮、, 式部少輔、, 甚十郎、伊賀守、, 仁左衞門、, 從五位下, 政吉, 甚次郎, 仁兵衞, 清成, 忠重, 志摩守, 内藤忠政, ノ事蹟, 西丸守衞, 忠政, 關ケ原役, 一向一揆, 二オケル, 慶長十一年七月十三日, 二五一
割注
- 紀伊家御附屬
- 家臣譜に忠郷、
- 彌三郎、修理亮、
- 式部少輔、
- 甚十郎、伊賀守、
- 仁左衞門、
- 從五位下
- 政吉
- 甚次郎
- 仁兵衞
- 清成
- 忠重
- 志摩守
頭注
- 内藤忠政
- ノ事蹟
- 西丸守衞
- 忠政
- 關ケ原役
- 一向一揆
- 二オケル
柱
- 慶長十一年七月十三日
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- 二五一
注記 (39)
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