『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.541

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盛衰房州捕鯨場安房國平郡加知山, ニ行ハルヽニ至レリ, 暦萬治の頃、愈々盛にして、七十三組まて組を立て取りし」ト云ヘリ、然ルニ, 〓て取りし」ト、又勇魚取繪詞、小山田與清記ノ跋ヲ見ルニ「或る説に、明應の, 頃まては、紀伊熊野の漁人、壹岐潮津の浦にくたりゐて、捕鯨をなりわひと, 大和所本草ノ所載ニ由レハ「慶長年中、筑紫諸浦の漁人、初めてほこを以て, し、そこの鎭守に夷三郎殿の社をいつきまつれるより、所の名をゑひす港, 法ニシテ、銛ヲ用ヒ、鯨ヲ捕殺セルモノヽ如ク、爾後八九十年間ニ於テ、其組, 織漸次完成シ、獵具次第ニ進歩シ、寛文延寶ノ頃ニ至リテハ、網取ノ法各地, と云ふ、これたくむなき鯨網場なるを、後に肥前大村の漁人深澤の某, 富に肩をならふるものなし」ト云ヘリト、之ニ因テ案スルニ、元龜天正ノ頃, 頃になりて、弘く行はれて、網組を出す所多くなりたれと、今は生月島の盆, 長以前ニ在テ、已ニ捕鯨ノ術、紀州ヨリ傳來セリト雖、元禄十六年、海嘯ノ爲, ハ、捕鯨ノ術、已ニ紀州、伊勢、三河、土佐、及九州各地ニ行ハレタルモ、專ラ〓取, この業を受けつたへ遂に網組出の術をはしめ、寛文延寶の, 岩井袋ノ同村ニハ、慶, ふ所の深澤義, 加知山、元勝, 鯨史, 太夫ならん、, ○中, 稿云, 山ト稱ス、, 略, 房州ニ於, ケル捕鯨, 慶長十一年是歳, 五四一

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  • ふ所の深澤義
  • 加知山、元勝
  • 鯨史
  • 太夫ならん、
  • ○中
  • 稿云
  • 山ト稱ス、

頭注

  • 房州ニ於
  • ケル捕鯨

  • 慶長十一年是歳

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  • 五四一

注記 (28)

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