『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.534

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右衞門を嫡家とす、, し、代々當村に住す, 富家となる、是金右衞門の家祖なり、頼元の後分れて八家となる、然して金, 那智庄太地村, 忠兵衞頼之といふ、頼之の孫忠兵衞頼元といふ者、慶長鯨漁を始め、始めて, 勘之丞頼國といふもの、堀内安房守に□ひて朝鮮に討死すといふ、其弟を, 紀伊牟婁郡太地村ノ人和田頼元等、捕鯨ノ業ヲ起ス、, 家傳にいふ、朝比奈義秀の後にて、義秀和田合戰の後、漂泊して此地に〓居, 鯨漁慶長十一年、和田忠兵衞頼元と〓ふ者、堺の浪人伊右衞門尾州知多, 〔紀伊國續風土記〕, 盛、咸頼等の名古き文書等に見ゆ、其祖先なるべし、豐太閤征韓の役に、和田, 郡師埼の傳次兩人をかたらひ、鯨〓を始む、舟一艘に櫓七挺なり、寛文四年, に始めて塗舟を作り、櫓八挺とす、延寶五年鯨網を始む、その漁獵の樣子甚, 東四郎頼仲、和田藏人、又頼村、長, 大造なり, 舊家大地角右衞門同金右衞門和田孫才次, ○捕鯨業ノ起源ニ關シテハ異説多シ、今其主ナルモノヲ左ニ掲グ、就, 其家系に代々の名を擧, ○中略、漁船ノ形状、鯨獵ノ, 模樣等ノコトニ係カル, ○下, けたれとも、覺束なノ, 名夏山, 多伊遲、小, 牟婁郡十, 七十八, 略, 鯨〓ヲ始, 由緒, 鯨網ヲ始, 和田氏ノ, 慶長十一年是歳, 五三四

割注

  • 其家系に代々の名を擧
  • ○中略、漁船ノ形状、鯨獵ノ
  • 模樣等ノコトニ係カル
  • ○下
  • けたれとも、覺束なノ
  • 名夏山
  • 多伊遲、小
  • 牟婁郡十
  • 七十八

頭注

  • 鯨〓ヲ始
  • 由緒
  • 鯨網ヲ始
  • 和田氏ノ

  • 慶長十一年是歳

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  • 五三四

注記 (33)

  • 295,664,60,571右衞門を嫡家とす、
  • 884,668,56,564し、代々當村に住す
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  • 1002,664,58,2218家傳にいふ、朝比奈義秀の後にて、義秀和田合戰の後、漂泊して此地に〓居
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