『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.810

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つて薨去し給ふ、時に卅四歳、一國の諸士は申におよはす、農商にいたるま, んかへ申させけれとも、つひにしるしなくして、閏四月八日巳午の刻に至, 前黄門森巖道慰運正大居士と號して、七日之法會有ける、万清和尚滿譽之, 孝顯寺と申にて御葬送し奉て、三日の法事を行ひ、孝顯寺殿三品黄門吹毛, に御したしく召仕われし者共、又は志あるもの共、いつれも剃髮しける、中, 意をうけて其事をつとめられなから、歸依僧に成て寺を淨光院と號して、, は、別して御寵臣たりけるゆへ、孝顯寺にして殉, 万清住し給ひ、御菩提所と相成ける、こゝにおいて、秀康卿の御母堂、ならひ, 人を招提して、宗旨を淨土に變して、新地をひらき改葬し奉りて、淨光院殿, し申候由御不審有けり、是によつて、國の老臣等、上方より知恩院之滿譽上, 仰には、代々淨土宗に歸依するの所に、此度何之故にか、變して曹洞宗に葬, 月珊大居士と申奉る、此事駿府に達しけれは、大神君御愁傷かきりなく、〓, て、おの〳〵父母をうしなへるかことく、なけきかなしみ申ける、扨曹洞宗, ま〳くつくすといへとも其しるしなく、京都よりも名醫等よひくたし、か, 死をしる、永見右衞門は、心月寺におゐて是も殉死しける、本多富正は、格別, にも土屋左馬頭, 法名道有、, 助六郎子、, 菩提所淨, 秀康ノ宗, 光院建立, 旨, 慶長十二年閏四月八日, 八一〇

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  • 法名道有、
  • 助六郎子、

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  • 菩提所淨
  • 秀康ノ宗
  • 光院建立

  • 慶長十二年閏四月八日

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  • 八一〇

注記 (24)

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