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天正十七年九月、秀吉より忠興樣へ丹後, し仰られ候付て、笠著候事, 上候は、御差圖の通はあしく奉存よし、委細申上候處に、何共御返答無之、四, 慶長五年十一月、家, 興樣御供にて、四郎右衞門も參り居、右の御繩はりは惡敷有之候に付、立行, 郎右衞門繩張通りと被仰候、忠興樣殊の外御氣閊ひなされ候、其後秀吉、四, 仕直し、追て秀吉見給ひて、忠興樣へ御尋有之候に付、四郎右衞門直々に申, よし御意有之候事、山城の國淀の城御普請有之刻、秀吉繩張なされ候、忠, 右將監嫡子長岡武藏守立行、はじめは平吉、その後四郎右衞門、長岡の苗字, 御免の節、武藏守と改め申候、將監一生丹後國安良城に致居住候、若年の頃, より藤孝樣御側に被召仕候、元龜元年午の冬、十三歳にて御料理人を討果, 康公より忠興樣へ豐前國、並豐後六萬石添御拜領被成候、此節四郎右衞門, 郎右衞門へ仰られ候は、普請場へ笠を冠り可申候、我等同前にても不苦よ, 正十一未年四月十日、丹後國安良城に於て病死致し候事、, 一國宛行はれ候、此節四郎右衞門へ壹萬貳千石被下之、一國十分一被下の, 候仕形よく候よし、藤孝樣御褒美なされ候事、, 係ル、又、本書、藤孝、立行ニ長岡氏, ○中略、立行、細川藤孝忠興父, ○中略、小田原役、朝鮮役、關, ヲ賜フトス、恐クハ誤ナラン, 子二從ヒ、諸所二戰フコト二, ケ原役ノコト二カヽル, 國十分, ヲ賜ハ, 淀城繩張, 慶長十二年十二月十四日, 一八九
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- 係ル、又、本書、藤孝、立行ニ長岡氏
- ○中略、立行、細川藤孝忠興父
- ○中略、小田原役、朝鮮役、關
- ヲ賜フトス、恐クハ誤ナラン
- 子二從ヒ、諸所二戰フコト二
- ケ原役ノコト二カヽル
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- 國十分
- ヲ賜ハ
- 淀城繩張
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- 慶長十二年十二月十四日
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- 一八九
注記 (27)
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