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り不申由被申聞候, 幽齋君御誕生の事、所の者申傳へ、後年の御稱號を以とり合せ、長岡屋, は、御誕生より四十年後の事也、乍然、此所已前は三淵宗黨翁の屋敷、則, をも御止被成候と也、扨御遺言に任せ、南禪寺北門前吉田と黒谷の間, 之事存たる者無之、尤、吉田神龍院ニ淨勝院殿の御位牌御座候、右寺の, 寺記録ニも有之と云々, を延壽堂と申候而、今以、南禪寺僧衆の火葬場ニ而候、其外之儀は、わか, 敷といへるにや、享和二年、京都止宿之砌も、段々吟味仕候處、御屋敷跡, 於て、一七日御法事御執行有、光壽院樣, 境内ニ御屋敷跡有之候と申候得共、是も不詳候、天授庵ニ承合候得者, 考ニ、幽齋君御誕生の屋敷を長岡屋敷と云事いふかし、長岡の御稱號, 候、所之者、長岡屋敷と唱候由、尤、今は畑に成りて有之候、御遺言之趣、南禪, にて茶毘して、御遺骨を天授庵と豐前小倉に御〓可被成由ニ而、先京都に, いかにも幽齋君御火葬は、南禪寺北門前ニ而候由記録も有之、右之所, 一書、此地則幽齋君御誕生之所ニ而、于今御屋敷跡の石垣等も殘り有之, 忠興君も御遺骨と一度に御, 慶長十五年八月二十日, ○遺言ハ、下ノ南禪寺, 大授庵由來ニ見ユ, ○藤孝, ノ夫人, 三日間碁, 將棊ヲ停, 長岡屋敷, 茶毘, ム, 慶長十五年八月二十日, 四八〇
割注
- ○遺言ハ、下ノ南禪寺
- 大授庵由來ニ見ユ
- ○藤孝
- ノ夫人
頭注
- 三日間碁
- 將棊ヲ停
- 長岡屋敷
- 茶毘
- ム
柱
- 慶長十五年八月二十日
ノンブル
- 四八〇
注記 (28)
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