『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.984

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

すのに存せり、當時大岩村臨濟寺の上の山の峯なり、, るへからさるなり、府城も今のことくに、石を疊み櫓を構へ、嚴重になりた, るは、慶長十二年神君の御經營よりの事なり、今川持の頃より、武田家へ奪, ふ城はあれとも、一生一度も城に籠らすと云、駿府も屋敷構にて、城は賤機, みな慶長より後のものなれは、里諺傳説こそ大に誤り傳る故、古の事はし, ひても、今の如く城構へにてはなく、屋敷かまへなり、其時代は甲州なとも, 信玄は生涯、城には住居せす、屋敷に住居なり、甲府の上の山に石水寺とい, 至に構へをきたり、神君の御時駿府に御城御經營ありて、賤機山の城はこ, 〓ち捨られしなり、今に殘りて、一二の郭、武者たまり、馬場の跡、井なともか, 町方御由緒之事, 爲思召、其上地子御免許被爲仰付、冥加至極難有仕合奉存候御事、權現樣慶, 駿府御町之儀は、乍思權現樣御繩張にて被爲除鬼門、末代迄土地繁榮を被, 佛闇御再興ありて、莊嚴美々敷勝地となり、駿河繁昌せり、故に駿府の古跡、, 長十二未年、駿府御入城被爲遊候御時、町中名主共御祝儀罷上、於御對面所, 〔駿河國志補遺〕, 〓慶長十二年丁未三月、再神君御在城になりて、神社, 駿河國志〕, 市井, u州里諺, 六, 賤機山城, 屋敷構ヘ, u府城ノ, ナルコト, ノ由緒, 駿府町方, 趾, 慶長十二年七月三日, 九八四

割注

  • 市井
  • u州里諺

頭注

  • 賤機山城
  • 屋敷構ヘ
  • u府城ノ
  • ナルコト
  • ノ由緒
  • 駿府町方

  • 慶長十二年七月三日

ノンブル

  • 九八四

注記 (29)

  • 605,633,84,1580すのに存せり、當時大岩村臨濟寺の上の山の峯なり、
  • 1423,622,96,2213るへからさるなり、府城も今のことくに、石を疊み櫓を構へ、嚴重になりた
  • 1307,623,100,2218るは、慶長十二年神君の御經營よりの事なり、今川持の頃より、武田家へ奪
  • 954,634,107,2213ふ城はあれとも、一生一度も城に籠らすと云、駿府も屋敷構にて、城は賤機
  • 1539,627,99,2204みな慶長より後のものなれは、里諺傳説こそ大に誤り傳る故、古の事はし
  • 1190,628,98,2226ひても、今の如く城構へにてはなく、屋敷かまへなり、其時代は甲州なとも
  • 1070,622,104,2221信玄は生涯、城には住居せす、屋敷に住居なり、甲府の上の山に石水寺とい
  • 839,640,99,2201至に構へをきたり、神君の御時駿府に御城御經營ありて、賤機山の城はこ
  • 722,636,104,2212〓ち捨られしなり、今に殘りて、一二の郭、武者たまり、馬場の跡、井なともか
  • 502,1353,63,488町方御由緒之事
  • 248,639,112,2217爲思召、其上地子御免許被爲仰付、冥加至極難有仕合奉存候御事、權現樣慶
  • 366,636,107,2222駿府御町之儀は、乍思權現樣御繩張にて被爲除鬼門、末代迄土地繁榮を被
  • 1654,608,106,2239佛闇御再興ありて、莊嚴美々敷勝地となり、駿河繁昌せり、故に駿府の古跡、
  • 131,652,107,2199長十二未年、駿府御入城被爲遊候御時、町中名主共御祝儀罷上、於御對面所
  • 459,585,112,496〔駿河國志補遺〕
  • 1779,1163,95,1663〓慶長十二年丁未三月、再神君御在城になりて、神社
  • 1751,591,105,322駿河國志〕
  • 477,1140,45,113市井
  • 1762,982,45,255u州里諺
  • 525,1142,40,35
  • 723,259,43,171賤機山城
  • 931,257,41,157屋敷構ヘ
  • 978,256,41,163u府城ノ
  • 891,263,31,157ナルコト
  • 445,270,40,121ノ由緒
  • 486,264,45,170駿府町方
  • 679,261,38,41
  • 1886,683,47,381慶長十二年七月三日
  • 1929,2415,41,120九八四

類似アイテム