『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.103

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の御傍に勤仕す、, 台徳院殿御上洛のときしたかひたてまつり、四月六日、將軍宣下御拜賀, 壁郡のうちにして、五萬石餘を賜ひ、先の領知はおさめらる、, は、かねて長重をして關東にまいらせ、台徳院殿に奉仕せしめむことを, 三成、しは〳〵讒訴する事ありといへとも、東照宮の御かへりこにより、, 五歳にみたさるものは、供奉に列すへからけるのむね、台命あるにより、, こふ、慶長四年、東照宮の仰によりて江戸に至り、五年正月より、台徳院殿, 長重もいとまたまはりて、江戸に歸る、六年、下野國眞岡郷にして、領知二, 勝を御征伐あるにより、御供に列して、下野國宇都宮に至るのところ、十, 恙なき事を得たり、これによりて、御家をしたふこゝろさし切なりしか, の供奉をつとむ、後、洛にのほらせたまふことに御供に列す、十六年、櫻田, 天正二年、近江國小谷に, のち從五位下釆女正に敍任す、このとし、上杉景, 土橋の石垣をよひ堀の普請をつとむ、このとし、父か隱栖の料、常陸國眞, 萬石を賜ひ、七年、東照宮の仰によりて、松平玄蕃頭家清か女を娶る、十年, か女、天正十六年、近江國に生る、父長政、豐臣太閤につかふるのとき、石田, 杉原長房, 〔寛政重修諸家譜〕五五, 彌兵治、伯耆, ○下, 守、從五位下, 三歳、, 時に十, 略, 秀忠ノ近, 侍トナル, 慶長十六年四月七日, 一〇三

割注

  • 彌兵治、伯耆
  • ○下
  • 守、從五位下
  • 三歳、
  • 時に十

頭注

  • 秀忠ノ近
  • 侍トナル

  • 慶長十六年四月七日

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  • 一〇三

注記 (28)

  • 1345,700,57,490の御傍に勤仕す、
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