『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.205

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正統の系圖は、正貞にかけて頼季流に收む、, 歳のとき、うち〳〵命ありて、見性院, 方と相聞候, の世系にかけかたし、よりて正之より系をおこし、松平の流にのせ、保科家, に養はれ、田安の, 御事にて、台徳院殿大相國之御四男におはしまし、御母すお靜の方、後に淨, 光院殿と申せしなり、抑、このお靜の方き北條家の舊臣神尾伊豫榮加の娘, 正之、幸松、母は北條家の舊臣神尾伊豫榮加か女、後淨光院と稱す、慶長十, 六年五月七日生る、ゆへありて御子のかすになされす、十八年三月二日、三, 邸にうつり、, 時分、御寵遇ありて、妊身いたし、御城之御奉公難成とて、父之伊豫は相果候, 明神と祝ひ祭り、崇敬他に異なるは、會津中將源公、御諱す正之と申奉りし, なり、慶長の頃、江戸の御城におうはとのと申は、大奧にて御出頭並ひなき, 系統を正之に係て、清和源氏頼季流に收むといへとも、今にをいては、保科, の方へ便り、御城に宮仕せられし處、おうはとのゝ部屋へ、將軍樣被爲入候, 〔千登勢の滿津〕一會津山之麓、見禰山といふ所に、宮居をト給ひ、土津大, お靜の方御若盛に、こ, 台徳院殿の御乳人なり、井上主計頭殿〓, 穴山梅雪ろ妻なり、, ○下, 武田信玄が女にして, 母とも、または御伯母ともいひし由に候, 略, り、, 母お靜の, 方淨光院, おうはと, 慶長十六年五月七日, 二〇五

割注

  • 台徳院殿の御乳人なり、井上主計頭殿〓
  • 穴山梅雪ろ妻なり、
  • ○下
  • 武田信玄が女にして
  • 母とも、または御伯母ともいひし由に候
  • り、

頭注

  • 母お靜の
  • 方淨光院
  • おうはと

  • 慶長十六年五月七日

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  • 二〇五

注記 (29)

  • 1653,587,76,1292正統の系圖は、正貞にかけて頼季流に收む、
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