『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.311

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累せしとかや, に便を得、中村一番に、山中之城へ乘しかは、帶刀先生、秀次公の御前にて、恨, おとろき、御前に侍るれき〳〵の大臣、左きなかりし事にて有しとて、左右, よと、思ふけしき見へけれは、耻しくて、先生、大坂貝殻塚を一人して取給ひ, 名より、三州池鯉鮒にて、加賀野井彌八をしたろへしまて、武功二十二度重, しちかへんとし、終に申度事共、露のこさす惡口してけり、十六歳の時之高, 堀尾陣場能所なりしを、中村式部少輔、關白秀次公へ望みつゝ取てけり、是, 人の内にして、尾州上四郡の沙汰を知侍りぬ、帶刀先生童名二王丸とそ申, の手を取て、引立んとしけれは、大の眼に角を立、散々にのゝしつて、〓にさ, たてまつる事、大かたならぬさまに見えしにより、いかゝあらんすらむと, しに、しかと不覺によつて、答さりしを、問人、此道に〓しなみなき故に不知, 先生吉晴は、尾州上郡供御所人也、父は堀尾中務少輔吉久とて、國人三十六, うに有しか、云へき事あれは、相手をも不嫌き、のれは、相州山中之城に向て、, 來歳十七の夏、茂助と名をらへしなり、物まめやかに、美婦人のや, 子息出雲守忠氏に、ある人父先生の武功を問し事の有, 太閤記〕十八堀尾帶刀先生吉晴傳, せし, ○中, ○中, 略, 略, 物マメヤ, 婦人ノ如, 力ニシテ, 武功二十, 二度, 慶長十六年六月十七日, 三一一

割注

  • ○中

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  • 物マメヤ
  • 婦人ノ如
  • 力ニシテ
  • 武功二十
  • 二度

  • 慶長十六年六月十七日

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  • 三一一

注記 (28)

  • 488,612,53,417累せしとかや
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