『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.345

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日より、同十八日まて及對陣, 百、都合八千にておしいたし、志岐の城の舟つき、袋の浦へあかり、十月十三, 指向、志岐の城守林專、種々手段をめくらし、文大夫をはしめ、袋の浦と言所, にて、一人も殘らす討捕、歸陣するものは、船頭加子計也、攝津守大におとろ, 威をふるはれ、勝利を見て本陣へ引のき給ふ, き、人數をあつめ、主計頭へ加勢を乞、自身渡海いたされ、清正より、佐々平左, ましと、軍勢をあつめ、手勢壹萬、熊本より川尻と云所迄、五十丁の所あり、川, 一人、雜兵二百七十九人、天正十七年霜月五日、辰の上刻より、午の下刻まて, 尻にて、惣軍兵船にのりうかへ、十月廿九日、川尻をのり出し、寺田篠助と云, 伊知地文大夫と云ものを大將とし、人數三千、天草の内志岐と言所へ, もの、林專へ使に申付、小舟をさきへおしいたす、篠助は志岐のみなとへ船, 加藤主計頭は、兼而より、小西攝津守行長手勢計にては、一揆退治する事成, 衞門、古橋又助、瀧野讚岐、山内甚三郎を大將として、千五百、小西手勢六千五, をつけ, 清正、終に勝利を得給ふ、味方討死の侍九十, の合戰也、行長は、清正一戰無心許して、手勢三百計にて出られしか、清正猛, 志岐城落去, ○中略、清正、木山彈正ヲ, ○中略、林專ノ降, 討取ルコトニカヽル、, ○中, ○中, ルコト二カヽル, 略, 略, ヲ援ケテ, 小西行長, 志岐城ヲ, 陷ル, 慶長十六年六月二十四日, 三四五

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  • ○中略、清正、木山彈正ヲ
  • ○中略、林專ノ降
  • 討取ルコトニカヽル、
  • ○中
  • ルコト二カヽル

頭注

  • ヲ援ケテ
  • 小西行長
  • 志岐城ヲ
  • 陷ル

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 三四五

注記 (31)

  • 1204,628,56,853日より、同十八日まて及對陣
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