『大日本維新史料 編年之部』 3編 7 安政5年5月11日~5月晦日 p.612

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甚迷惑致さるよし、言路は熟く閉塞して、誰あつて言を發する者なく、寂然たる事共にて、, 追々貶黜、我々は幾日比、誰々は何日頃、堀田遠からす抔、高談憚る處なき故に、閣老衆も, 海防懸りも甚閑暇、伊賀殿は鎭定策を得たりと、自得の体には見ゆれとも、人心十分離反、, 朝に立つを愧る勢故、奧御右筆中にも、有志の者は閣老衆へ聞えよかしに、正論の同類は, 手向殊に逼迫せるを見込、藤吉郎ゟ五萬金を調達し置る抔風評あり、, 近々外轉にも成るへき歟、土岐攝津はいまた波及の沙汰なきよし、當時の人心、正論家は, 御大切の時節に及ひし由、鈴木藤吉郎も追々罪を得へき運ひともなりたれは、本郷丹州, 五月廿二日、, を枯らさんとの勢にて、危險の時となりて、肥州も條約調印濟迄も在職無覺束、永井・堀も, 一、此夕、左内、岩瀬肥州へ往たりしに、肥州の申されしは、近來の形勢、朋党は根を斷ち葉, 一、今日ゟ久世大和守殿、御不快にて御登城なし、鈴木藤吉郎の波及と聞えたり、此侯御勝, 初、奸党に連坐も出來可申候、是は聊愉快なるへしと物語られたりとそ、, 五月廿三日、, ○中, 略、, ○中, 略、, 略、, ○中, 略, 岐頼旨等免, 岩瀬忠震土, 黜の風聞, 安政五年五月二十四日, 六一二

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  • 岐頼旨等免
  • 岩瀬忠震土
  • 黜の風聞

  • 安政五年五月二十四日

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  • 六一二

注記 (25)

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