『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.351

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任所存、小西攝津守行長は、寺澤志摩守と相談し、朝鮮在陣中、越度をとりた, 四人の儀を申ニ付て、書物之寫、四人の所へきたる、四將參會し、小西、寺澤、越, 朝鮮在陣中、石田治部少輔三戌、太閤殿下へ、ほしいまゝにさゝへを申ニ付, ありといへとも、治部少輔も、大身小身に、何十人となく、入魂の衆依有之、不, 而、治部少輔に不隨るものは讒言申、依之、治部少輔不和の大名は、折を得、う, くて歸朝せられ畢、さて朝鮮在陣の諸大名博多にいたり、治部少輔に參會, より、七人評定あつて、秀頼公御代始に、治部少輔をうちはたすへきとの企, 諸將伏見上著し、, 秀家卿五人の衆へさしあくる、右之書物に、主計頭、甲斐守、加賀守、壹岐守、此, 加藤左馬助、黒田甲斐守、淺野左京大夫、池田三左衞門、此七人と不和なるに, 同道し、博多へ來る、彈正、治部少輔、諸大名をよひあつめ、朝鮮在陣の苦勞を, 感し、太閤御遺言を申渡し、御遺物めい〳〵に配分す、, ちはたすへきとの所存なり、就中、加藤主計頭、福島左衞門大夫、細川越中守、, るとの沙汰有之、申開のため、書物をしたゝめ、家康公、利家卿、輝元卿、景勝卿、, す、清正は、彈正名島にあれは、彈正にあはんとて、名島にいたり、一宿し、彈正, 秀頼公へ一禮申上、主計頭も禮を申、御暇被下及歸國、, ○中, 略, 三成ト不, 秀頼ニ〓, 和, 歸朝, ス, 慶長十六年六月二十四日, 三五一

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  • ○中

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  • 三成ト不
  • 秀頼ニ〓
  • 歸朝

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 三五一

注記 (25)

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