『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.485

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にて討死いたし、厚恩を泉下に報すへしと、覺悟仕候旨を返答しけれは, 正則も深く感せられし、清正にも傳へ聞て、程なく呼返され、二千石給は, りしに、後年度々の武功有て、終に六千石まてに至りしと也, りし也, 今浪々仕るは、一身の不幸なり、只今にても、加藤家より、最初の六石にて、, 心底にあらす、もし明日にても、清正出陣し給はゝ、一番にはせ參り、馬前, 呼返されんとあらは、早々歸參し、相勤へき所存なり、中々二君に仕ふる, 使者を以て、念比に申さとされしに、飯田曰、度々の御使者、誠に有かたく, 之候はんが、判官程の大將が御座有間しくと、さし返して申けれは、清正も, 賜はり、〓拜をゆるされ、士大將の列に入られたるは、海山の厚恩なりと、, 候へとも、某事は、清正家にて、わつの六石給はりし輕き者なりし、大祿を, りたる、福島正則聞れて、四千石にて招るゝといへとも、辭して出す、又, 笑ひて居られける、凡名將と云はるゝ人は、みな〳〵家來にはむつまし, 正の命に違ひて、浪人して伏見に幽居し、馬沓草鞋なとを作りて曰を送, 飯田覺兵衞は、はしめ六石を給はり、後に二千石にて部將となる、其後清, 慶長十六年六月二十四日, ○下, 略, 飯田覺兵, 衞ノ略歴, 慶長十六年六月二十四日, 四八五

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  • ○下

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  • 飯田覺兵
  • 衞ノ略歴

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 四八五

注記 (22)

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