『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.672

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かりの時、神君、御鷹野の節、此寺に入らせられ、彼子も小性の中に入て、御茶, と上意にて、直に召連られ、其後、江戸御下向の時、御供にて下著せしに、秀忠, の通ひなと致せし、硯箱御用とて持出しに、墨すり候へとの御事にて、御側, 公御對顏の席へ召出され、此者は、先頃懷脇指を掘出したり、能き土産ぞ、忠, の所縁有て、駿州へ落來り、土屋の妻子は、其所の名主の下はたらきの火焚, 女と成て、一子を養育せり、其後、土屋か家人に、神戸三郎右衞門といへる者, る、されはこそ、只者にはあらすと思ひし、忠信者の子なれは、予にくれ候へ, 敵のすへなれは心元なしとで、清見寺の弟子となせしに、其子の六七才は, に召置れ、住持に何者の子なるよし御尋有、住持も恐れ入て、御答へ遲々せ, 土屋民部少輔忠直事は、武田家の忠臣土屋宗藏昌恆の, は、清見寺の住持としたしかりしゆへ、其幼子、母の元にて成長せん事も、御, しを、しきりに尋させらるゝゆへ、止事を得す、土屋惣藏か子なる旨を申上, 〔參考〕, 臣の土屋か子なれは、秘藏し給へと上意なり、後民部と召れて、器量ある若, 嫡子にて、天正十年、勝頼滅亡の時、家士兩人にて、主人の妻子を介抱し、少し, 〔明良洪範〕, 續集, 三, 慶長十七年四月九日, 六七二

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  • 續集

  • 慶長十七年四月九日

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  • 六七二

注記 (20)

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