『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.697

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間に陣大皷數々あるを見そ、又兵衞いふ樣、當家貝太皷を司る者は誰そや、, 額にし、長き刀横たへ、人體甚いかつにてく、辨舌あさやかに、勇々敷男成しと, に、誤りく鉄炮の藥に火移りて、此備騷動す、此よし聞召、御機嫌大に損し、其, 引率し、神君の御旗本近く備をたつ、是内々御氣色有ての事といふ、然る所, 若原め、誰かゆるしを得て、如此の形粧をなすや、狼藉千万なり、追退よとの, 持し置んる、或日後藤又兵衞、明石掃部助、小倉作左衞門等、姫路に登城し、廣, 某承りぬ、諸法度相詞、物見の事まて、皆我等より申付候也、作左衞門云、陣場, そ、國清公の時、御威勢日々に盛にまし〳〵そ、諸國の名高き浪人を數多扶, ととふ、右京聞もあへす、我等司る也と云、掃部云、武者奉行は誰そや、右京云、, る大兵にて、面には指にて押込たるほとの疱瘡の跡、ひしとありそ、月代半, 奉行は誰そや、右京云、某也、各の御尋、是まてなりや、惣しそ當地は、西國より, 皆々知らすと云、折節右京椽側を通るを呼かけ、貝太皷は誰人司られ候や, 上意ありて、散々不首尾なり、是よりいよ〳〵流浪し、百人の士も皆ちりち, りに成て、其後藤堂和泉守高虎に仕へしと云, 右京は、〓の外肥滿した, 誘引ニ依テ、若原、秀頼ニ屬シテ、大阪ニ籠ルトアリ, な、○關難間記二ハ、難波ノ役、眞田左衞門佐幸村カ, 或は藤堂家へ仕へしは、右京, にあらす、其子大學なりとい, 右京ノ人, 右京後藤, ヲ驚カス, 又兵衞等, 柄, 慶長十八年正月二十五日, 六九七

割注

  • 誘引ニ依テ、若原、秀頼ニ屬シテ、大阪ニ籠ルトアリ
  • な、○關難間記二ハ、難波ノ役、眞田左衞門佐幸村カ
  • 或は藤堂家へ仕へしは、右京
  • にあらす、其子大學なりとい

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  • 右京ノ人
  • 右京後藤
  • ヲ驚カス
  • 又兵衞等

  • 慶長十八年正月二十五日

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  • 六九七

注記 (26)

  • 730,628,84,2240間に陣大皷數々あるを見そ、又兵衞いふ樣、當家貝太皷を司る者は誰そや、
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