『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.490

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トスの家に送れり、, に移葬することゝ爲せり、, の受洗者ありし頃の基督教徒なり、領主は、兵士二十人を彼の家に遣はし、, しめしが、新に信徒となる者四十名に及べり, し、二日の後、遂に死し、六人は長崎に送られたり、, に首を奪ひて、長崎に送り、躰は發掘して、白布に包み、機の至るを待ちて、他, 出發後、迫害起れり、初め二夫婦と子供三人捕へられ、裸躰のまゝ、市内を引, 筑後にては、迫害ありしも、死刑に處せられし者一人もなかりき、耶蘇會の, 豐後にては、高田、野津、値賀の三所に、耶蘇會の宣教師居住せしが、宣教師の, 廻され、後俵に入れて、一晝夜路傍に曝されしが、一人は之が爲めに病を發, 之を捕へて斷頭場に送れり、基督教徒は、其遺物を、長崎のトドス・ロス・サン, 前殿の叔父ミゲル宗右衞門が、耶蘇會の宣教師を招き、二ケ年間に、五六千, ナグニのキバラ村, 同日、秋月にては、マチヤス七郎兵衞、宗教の爲めに一命を捨てたり、彼は筑, 地方長は、宣教師及び説教師、各一名を遣し、筑前、筑後の基督教徒を慰問せ, にては、基督教徒の一家を捕へ、七月十三日、, ○豐後直入, 郡城原カ, 筑後ニ於, ケル禁壓, 豐後ニ於, ケル禁〓, ケル禁壓, 秋月ニ於, 慶長十九年正月十七日, 四九〇

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  • ○豐後直入
  • 郡城原カ

頭注

  • 筑後ニ於
  • ケル禁壓
  • 豐後ニ於
  • ケル禁〓
  • 秋月ニ於

  • 慶長十九年正月十七日

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  • 四九〇

注記 (26)

  • 1087,662,55,557トスの家に送れり、
  • 1668,648,57,782に移葬することゝ爲せり、
  • 1318,655,69,2219の受洗者ありし頃の基督教徒なり、領主は、兵士二十人を彼の家に遣はし、
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