『大日本史料』 12編 40 元和七年是歳~元和七年雑載 p.41

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望を抱きしまゝに、人を遣し、告解せんために師父を呼ばしめたり、キリシタンなる醫師, て、身を持したり、されどその熱誠には、少しも遜色なかりき、, に極めて狹き牢獄に投ぜられし十人のキリスト教徒ありしが、そのうち五人は、飢餓のた, 肥後國の布教, て、遂に殿より流罪に行はれたり、, 我が徒によりて訪問を受けしは、天草のキリシタンと、筑後及び筑前の國々なりき、こゝ, 卒等の嚴重なる警戒のうちに、彼は全くの奇蹟によりて、極めて容易に入國するを得たり、, ある殿の夫人はキリシタンなりしが、既に二十五年の間告解を行はざりき、師父の到來を, 月二十八日, なる法令發布せられたり、これがために師父等も他のキリシタンも、さらに愼重を期し, 聞き、宛もその夫の不在なるを知りて、キリシタンなる老婆の仲介により、豫て至極の希, めに光榮ある死を遂げたり、今日まで我等は、その名、その他詳細なる事情を知らず、, パードレ・ガスパロ・デ・クラストは、肥後國のキリシタン訪問のため、有馬を出發せり、番, 有馬に於いては、既に述べし如く、キリシタンのことは、多少穩便に過ぎつゝありしも、八, に至り、教會及び師父等に荷擔せる人々に對して、極めて峻嚴, ○元和七年七月, 十一日二當ル, 二於ケル布, ル状況, 前筑後兩國, 有馬ニ於ケ, 肥後ノ布教, 天草及ビ筑, 後ニ入ル, くらすと肥, 教, 元和七年是歳, 四一

割注

  • ○元和七年七月
  • 十一日二當ル

頭注

  • 二於ケル布
  • ル状況
  • 前筑後兩國
  • 有馬ニ於ケ
  • 肥後ノ布教
  • 天草及ビ筑
  • 後ニ入ル
  • くらすと肥

  • 元和七年是歳

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  • 四一

注記 (28)

  • 269,609,61,2192望を抱きしまゝに、人を遣し、告解せんために師父を呼ばしめたり、キリシタンなる醫師
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