『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.108

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下をとるたきと御さん談候時、飛騨殿御申候き、此後き、肥前守殿をさして、, 被存たる躰候、其時飛騨殿御申、各も合點ゆかぬか、又肥州も心得ぬかほ, あ乃人と御申候、肥前殿、何事を飛州き御申候やと御笑候へは、皆々如何と, なし、西國は備前中納言殿御入候而、毛利家自然出候者可有御押、最早家康, 越申間敷候間、其分別して、何を御覽候へ、但又上方に何だ居なから事あら, いろゝ、其いはれ可申候、自然儀あらは、今程利家卿のけて、覺への者誰か有, 計ニ候、家康打出上洛被仕候者、此飛騨守、即時ニくいほき、箱根を一足も爲, は、猶以利家卿一味多候間、是等を思案してみれは、此後き肥州天下取之由, 人ませすに、人事浮世を御物語御慰に候、色々御物語之上に、此後は誰か天, 之、其上北國三ケ國、大納言殿御取候故、京迄は路次すつら足にさはるもの, 武藏殿、其外二三人御參會候而、其比此衆參着の時に、鴈汁を喰可申由にそ、, 殿き、又候哉、飛騨殿のされ〓にあきはて候よし御笑候由御座候、上下殿樣, 御申候へは、いつれもの衆、飛騨守殿御申分尤々と感被申候由、その時利長, をふらく見申候、飛騨守殿咄衆千石徳齋參候而、利家卿へ、右之通御咄申候, 利家語話〕下有時蒲生飛騨殿にく、肥前殿、長岡越中殿、上田主水殿、戸田, 天下ヲ取, ルベキ人, 慶長十九年五月二十日, 一〇八

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  • 天下ヲ取
  • ルベキ人

  • 慶長十九年五月二十日

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  • 一〇八

注記 (19)

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