『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.354

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原、治部少失勝利よし聞屆、おのか在所筑後の國柳川へ立歸り籠城す, 正とは入魂の事也、治部に頼まれかくのことし、城を清正へ渡し可申、侍分, 共命を可助と云來によつて、城をあけ、小西か家來下城す、, き下城あるへし、清正よきにはからひ可申との返答にて、飛騨正、清正陣所, のものは御助成頼入、家康公へ、よきに被仰たまはれと被申越しかは、いそ, 飛騨正、清正へ使を以て申こされしは、内々清, へ下城, 用意にて、熊本を打立、木山越ニ豐後の國へ人數を押詰とふれまはし、木山, 峠にて、惣軍勢へふれられしは、宇土の城せめらるへきとの儀也, 立花飛騨正統虎は、治部少ニくこし、大津の城をせめおとしけるか、於關ケ, 清正、如水へ談し、薩摩へはたらくへしとて、肥後と薩摩の境いつこと言所, 迄押詰、其旨家康公へ及注進、島津者、細川父子を頼、家康公へ内通あるによ, 利、治部少、小西をはしめ生捕、落去之由告來る、小西方よりも、城をりたし、侍, 然處に、家康公より飛脚到著、九月十五日、關ケ原ニ於て遂一戰、得勝, 家康公より、此度無二之忠義不淺よしにて、一通の御書を送給, ふ, 島勝茂赦サレテ、清正ト共一, ○中略、八代城降, 柳川ヲ攻ムルコト二カヽル, 書ヲ載セタリ、, ○中略、家康ノ, ○中, 土城降ル, ○中, 略、鍋, カヽル, コト二, ルコト二カヽル, ○中略、宇, 略, 慶長十六年六月二十四日, 三五四

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  • 島勝茂赦サレテ、清正ト共一
  • ○中略、八代城降
  • 柳川ヲ攻ムルコト二カヽル
  • 書ヲ載セタリ、
  • ○中略、家康ノ
  • ○中
  • 土城降ル
  • 略、鍋
  • カヽル
  • コト二
  • ルコト二カヽル
  • ○中略、宇

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 三五四

注記 (32)

  • 1118,624,62,2080原、治部少失勝利よし聞屆、おのか在所筑後の國柳川へ立歸り籠城す
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