『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.822

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事、もはや子と思はゞこそと叱りけり、此於通と云女は、風流のみに非す、心, 云、武州西久保西谷山大養寺, 通僉議して何者の子なるそと尋る、娘は有の儘に語る、於つう親以の外に, 案内申入る、然るに此節伊豆守大病にて死去す、家督は、同年江戸にて生れ, 出生す、不と經て、母江戸へ若子を連て下り、下谷廣小路に借宅して、眞田へ, し息にて立、於通か方にて出生の子は、次男に成て御願申上られし、其頃大, も御供せしに、小野の於通の娘と密通し、程なく懷胎也、伊豆守下りし後、於, て、上へ申上領知めしはなし申べきと怒ぬ、さて娘も親の免さぬいたつら, 形樣を寫し、台覽に備る處、頻に御稱美有りて、御坐近く置せらる、其後台徳, 勘解由と名乘る、三代目藏人伊豆守養子に成て、終に本家の家督となる云, 駿府にめして、尊影を寫し奉るへき旨上意を蒙り、不日に候し、御束帶の御, そむくは人に非すと、娘を押込さし置けり、人々樣々なだめ、程なく男子を, さし正しき女なれは、親の免さぬいたつら事、たとひ幸を得るとても、道に, 記云、小野氏津宇女は、書畫の譽高し、東照宮, 院殿大樹の御代、御局觀崇院殿は御懇の人たるに依て、此尊影を下し給ふ、, 名の子息四五人召出されたるに、此眞田の子も二千石にて召出され、眞田, 土, 淨, お通ノ女, ノ像ヲ畫, お通家康, ノ子, 慶長十九年九月二十一日, 八二二

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  • お通ノ女
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  • お通家康
  • ノ子

  • 慶長十九年九月二十一日

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  • 八二二

注記 (24)

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