『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.1075

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死し、筑前殿もその翌年死し、その子肥前殿その後を繼げり、肥前殿はドン・, 始慇懃を表し、且ジユストに金澤城の附近に會堂を建築し、耶蘇會のパー, 太閤樣は、ドン・ジユスト、及びパードレ等追放後九年を經て、一五九八年に, ドレ一名を住居せしむることを許し、又誠意歸依を望む人々あらば、皆改, 師に於て、顯要の地位にある三名に命じて、從來日本に在る一切の宗門は、, 宗せしむることを許せり、是に因て高貴の人々多く改宗せり、ジユストは, 至らざりき、肥前殿も亦聖教の誡を守る力なしとて受洗せざりき、但し其, めたり、三名の婦人中、一名は先に太閤樣の養女となり、三國の領主, 實は將軍の制止を畏懼して歸依せざりしなり、然れども教徒に對して終, ジユズトを敬愛し、その父よりも彼を好遇せり、加之、天主教に關しては、彼, の意見を聽納し、且天主教の外には、救靈の道なきを曉り、又己の姉妹中京, その母も亦屡〻洗禮を受くるに埀んとせしが、徳足らずして遂に受洗に, 僻地より招還の恩命に接せざりき、, に嫁したる者なるが、二子并に數多の僕婢と共に洗禮を受けたり、左れば, 詐なること確かなるを以て、生前に洗禮を受けんことを其老母に勸めし, ○宇喜, 多秀家, 利長ト耶, 禮ヲ受ク, ノ姉妹洗, 南坊ニ會, 蘇教, 前田利長, 堂建立ヲ, 許ス, 慶長十九年九月二十四日, 一〇七五

割注

  • ○宇喜
  • 多秀家

頭注

  • 利長ト耶
  • 禮ヲ受ク
  • ノ姉妹洗
  • 南坊ニ會
  • 蘇教
  • 前田利長
  • 堂建立ヲ
  • 許ス

  • 慶長十九年九月二十四日

ノンブル

  • 一〇七五

注記 (27)

  • 1657,582,61,2234死し、筑前殿もその翌年死し、その子肥前殿その後を繼げり、肥前殿はドン・
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