『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.390

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臣秀頼ノ使者和久宗友、政宗ノ旅營ニ至リ、秀頼ノ言ヲ致シ、政宗ヲシテ, 陸奧仙臺城主伊達政宗、兵ヲ率井テ居城ヲ發シ、是日、下野小山ニ著ス、豐, 田の兩城にも、加勢ををかれむとて、家臣松平勘解由左衞門康定を岡崎に, しものともれりとて、別に兵士を副たあはす、, めして、忠利たれをとゝめて守らすよだと問を給ひけれは、康定、をよひ松, 眞山記, 十月十日、仙臺御立、十五日、小山, 和久半左衞門ト也, 兵衞某等なりとこたへたてがつりしに、彼等はみなか手てしろしめされ, 平與五右衞門某、大原修理久信、酒井善五左衞門某、岡田孫左衞門某、板倉七, 調停ヲ計ラシメントス、政宗、之ヲ秀忠ニ具申ス, 御宿所え、秀頼公ヨリ、爲御使者, 〔伊達政宗記録事蹟考記〕, 記録拔書六, 最前政宗江戸え罷登候刻、十五日ニ下野國小山え着仕候處ニ、從秀頼公, 政宗君江戸御出陳以下之事, 大坂御陳觸として、江戸ゟ奉書到來等之事, 〔伊達政宗記録事蹟考記〕〓大坂御陳觸として、江戸ゟ奉書到來等之事, ○下野下, 都賀郡, 十二, 十, 小山ニ宿, 政宗下野, ヲ發ス, 政宗仙臺, 秀頼ノ使, 者和久宗, 友, ス, 慶長十九年十月十五日, 三九〇

割注

  • ○下野下
  • 都賀郡
  • 十二

頭注

  • 小山ニ宿
  • 政宗下野
  • ヲ發ス
  • 政宗仙臺
  • 秀頼ノ使
  • 者和久宗

  • 慶長十九年十月十五日

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  • 三九〇

注記 (32)

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