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てき三千計にて、彼所を取歸候由、其所にて内膳殿討死之由、又々其所を屋, ニ、かの取でを推破、御取被成候所ニ〓、半右衞門たりでをおひ候由、晩ニ又, 形樣御人數にて、其夜ニ御取歸し、于今御持被成候由、一日之内に、とりすと, 敷ニ〓、此段申上、白川へ罷歸ニ、民部殿御宿へより申候て、跡ニ及承たるや, 候間、さきニ參たるものゝ出たちを書遣候樣ニと御意ニ候間、やうすは及, 留主居衆へ、去月朔日之御日付にて被仰越候、同六日ニ參着候由、就是嶋田, 由、其せんさく有之事ニ候間、御下之衆ニ、さしもの出たちを見知たるへく, 承候得とも、其陣へ拙者不罷立候間、畏よし御返事いたし罷歸、大殿樣御屋, 外は知れ不申由、信兵被申越候、右之樣子は、大坂ゟ將軍樣、御旗本衆、江戸御, られつの三度之しあひ等、手おい討死數多御座候へ共、于今誰とも兩人之, 形樣御陣塲之由、然處ニ、此所内ゟとりでをいたし持候所を、去廿九日之朝, 兵四郎殿、信太兵部少を御城へ被召寄、右之通被仰聞候ニ付ふ、飛脚指越被, 頼被成分は、先年於大坂ニ、澁江内膳打死之時、初鑓をいたし候もの御座候, 〔佐竹家臣梅津主馬政景日記〕十寛永三年十月朔日、加々爪民部殿、私御, 申候由, 合戰ノ初, 鑓ノ人名, 幕府今福, ヲ録上セ, 寛永三年, ノ岩ヲ爭, 大坂勢佐, 竹勢今福, シム, 慶長十九年十一月二十六日, 二七七
頭注
- 合戰ノ初
- 鑓ノ人名
- 幕府今福
- ヲ録上セ
- 寛永三年
- ノ岩ヲ爭
- 大坂勢佐
- 竹勢今福
- シム
柱
- 慶長十九年十一月二十六日
ノンブル
- 二七七
注記 (26)
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