『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.538

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も其樣子申上候, 功あり、, に石火矢御仕懸させ被戌候に付、鐵砲頭參候て、鐵砲せり合御座候、組付, の侍共何も罷出候得共、御法度の御意に付罷歸候、然とも高之助儀は隱, 來井川八右衞門、並志賀彦右衞門能存居申候, 晦日、神君の命を奉して、大銃を放ちて、織田, 口へ相着、梅原勝右衞門、梅原頼母、奧山五郎左衞門一所に罷在、鐵砲手少, 渡邊高之助家乘二代目高之助云々、同廿日、生玉へ御出被成、堀詰の櫓, の櫓に、雲生寺居けなに依て、此櫓を鐵砲にて打へしと上意によつく、大, 筒數百挺つるへ放りうつ、城兵騷難儀したなとなり、, 左門の守るところ西南の樓櫓を撃給ふ、此時出雲高清、奧山五郎左衞門等, れ居申候て、藤堂出雲家來と一所に罷在、鐵砲打あひ申候、其樣子出雲家, 手負申候、其時分は九郎右衞門名勘左衞門と申候、御歸陣以後、梅原頼母, 言行録慶長十九年十一月廿九日、内府公より高虎公に命し、城内西南, 同き, 渡邊高之助家乘慶長十九年十一月晦日、せんはへ淺野内匠殿御取込, 〔高山公實録〕, 慶長十九年十一月三十日, 謹按、〓寄とあ〓とも、梅原、奥山の事もあ〓, て、此戰の時の如く見ゆ、故にこゝにあく, ○十, 一月, 二十, 城ノ西南, ノ樓ハ織, 田左門ノ, 守備, 慶長十九年十一月三十日, 五三八

割注

  • 謹按、〓寄とあ〓とも、梅原、奥山の事もあ〓
  • て、此戰の時の如く見ゆ、故にこゝにあく
  • ○十
  • 一月
  • 二十

頭注

  • 城ノ西南
  • ノ樓ハ織
  • 田左門ノ
  • 守備

  • 慶長十九年十一月三十日

ノンブル

  • 五三八

注記 (29)

  • 1538,719,58,485も其樣子申上候
  • 611,637,52,211功あり、
  • 1303,720,60,2147に石火矢御仕懸させ被戌候に付、鐵砲頭參候て、鐵砲せり合御座候、組付
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