『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.536

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日夜前より、今曉へ向て、敵城に仕寄を付、土俵を以て道を付、竹束を段々, に依て、勢伊の諸士甚働強く、諸手の攻口よりは、格別に敵城の塀櫓の損, し多しと、難なく櫓一つ打破りて、此所は城中人の通ひを止むと云々、同, 放たしめ給ふ、, 晦日、神君の命に依て、織田雲生寺長頼か守な所の西南堀詰の櫓を石火, すと、公は樣々の甲冑を着、毎夜竹束の下へ出させられ、自ら下知し給ふ, と催合、楯を並へて、堀際へ攻寄給ふ、白晝と餘り敵城より鐵炮を打出す, 生玉口へ攻寄給ひしかは、城將戸田, 冬陣日次十一月十九日、公生玉の城門の向へに陣を詰寄給ふ云々、廿, に依て、死傷の者もあり、仕寄はかゆかさる故、多く夜分に諸士粉骨を盡, こと台徳院殿乃御聞に達し、か〓か炮術乃書をのそませたまふに〓り、高, 民部少輔銃卒を出して防戰に、我か士奧山五郎左衞門撃てこれを退く、こ, れを攻城第一戰とに、此外功を立な者亦多し、米村勘左衞門に命し、大砲を, 矢大筒を以て、稠しく發し打破な、此節城方の守將戸田民部少輔家正堪, 虎則これを献す、, 〔高山公實録〕二十公此日、, ○十一月, 十九日, 軍ヲ指揮, 高虎ノ軍, 城將戸田, 堀際ニ迫, 民部少輔, 高虎生玉, 高虎自ラ, 口ヲ攻メ, 高虎砲撃, シテ城櫓, ト戰フ, ヲ〓ツ, ス, 慶長十九年十一月三十日, 五三六

割注

  • ○十一月
  • 十九日

頭注

  • 軍ヲ指揮
  • 高虎ノ軍
  • 城將戸田
  • 堀際ニ迫
  • 民部少輔
  • 高虎生玉
  • 高虎自ラ
  • 口ヲ攻メ
  • 高虎砲撃
  • シテ城櫓
  • ト戰フ
  • ヲ〓ツ

  • 慶長十九年十一月三十日

ノンブル

  • 五三六

注記 (33)

  • 976,710,64,2138日夜前より、今曉へ向て、敵城に仕寄を付、土俵を以て道を付、竹束を段々
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  • 1218,629,55,431放たしめ給ふ、
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