『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.906

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りよき樣にひきく仕れとの儀ニて床ひくし、加樣之儀も、御奧意は人を入, 事に候へ者、語類の正説に御坐候や承り度候, 備はれり、小幡景憲大坂の役に、城中に入て間者となり、御當家へ忠を盡す, 也とを、其弟子北條安房守氏房門弟山鹿甚五左衞門義目等、各一家の稱を, 顯し、北條流、山鹿流と云ひて、盆軍學流布し、治るも亂をりす〓さるの職分, 兵衞申は、左樣の手たて成まし、濱松に被成御座時、女之居ル所之床は飛下, 座候、籠城と申候説、寄手と申一説大分の相違に御座候、景憲は北條氏長の, 上〓衆の床の下へ忍ひ入、權現樣被成御座候時分を窺ひ、可奉討と申付、勘, 小幡勘兵衞景憲は奇世の傑士也、兵法の世上にひろまりしは、此景憲の巧, ましき御用心乃壹めなれば、忍ひ入事成ましきと申、右の企をとゝむる之, 事、古談舊記に現然として、實に忠孝の臣なりと云り、或人、勘兵衞か大坂の, 師にて、山鹿隱山しめには師の師にて、殊に大坂陣よりはあまり間も無之, 〔本多藤四郎覺書〕御陣の前方大野主馬、駿河を放火仕んと忍ひを申付て、, 由、, 〔武門諸説拾遺〕〓小幡勘兵衞大坂城間者の談, 小幡勘兵衞大坂城間者の談, 府ヲ燒カ, 治長ノ駿, ントスル, 景憲大野, ヲ沮ム, 景憲ノ兵, 學, 元和元年三月十二日, 九〇六

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  • 府ヲ燒カ
  • 治長ノ駿
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  • 景憲大野
  • ヲ沮ム
  • 景憲ノ兵

  • 元和元年三月十二日

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  • 九〇六

注記 (25)

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