『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.466

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正殿つかひたての者すゝみ出て申やうは、あつはれ某一組を御捨にな, るによつて、かさねて軍せんとのぞむ者なし、右の物見仕りたる服部關, 見え申といひけれとも、老中尤とも請ず、そこにて熊澤兵庫といふ古彈, は、日も黄昏にをよびしに、勝負いはれざる事と再三但馬守殿へすゝむ, ふ隙なく、大坂より押來り、その上軍にはしつかるゝ取分草臥者と見え, 道齋といふもの兩人物見にこさる、服部は本道を行、高野は山路をつた, 外つかれたる模樣にかたる、但馬守老中をあつめ、爰をはいかゞせんと, ひてこれを見さだめ、本陣に歸ていふは、敵漸々千に不足の人數なり、殊, んより別事なし、兩人見さためたるをく、敵はつかれて引退か手たると, され候て、是非おほせ付られ候へかしといさみけれ共、淺野左衞門佐申, 齋は、加藤出羽守殿の家來服部佐次右衞門が父なり、高野道齋は今の高, 野小兵衞が伯父なり、熊澤兵庫助事は、此度の申ぶん計にかきらず、去年, 評儀仕られけれは、種村肖推寺といふ者出ていふ樣は、掛て合戰をとダ, て、人數一群蟻通の邊にかたまり居る、但馬守これを見て、服部關齋、高野, 利を得、信達山へ引取る、かゝりける處に、大坂勢今朝未明より粮をつか, 元和元年四月二十九日, 服部關齋, 高野道齋, 熊澤兵庫, 四六六

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  • 服部關齋
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  • 四六六

注記 (20)

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