『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.474

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人も先へは不罷成、我跡より來れと云て、同士軍にならんとす、平塚則中に, 竟拙者の先懸仕候故にて候、拙者も戰場にて討死可仕候得とも、此段をも, 死したる、大學は切抜て歸城して、森豐前守に申にるは、團右衞門討死は畢, 爲致候へとも、兎角大學先へ進み戰候ゆへ、團右衞門無念に存し、終には討, 切腹爲致候事、何とも難忍候へは、是は聞捨に可致候、我等不聞分に被致、可, 然と申、大學申候は、扨く貴公には、番頭にも御似合不被成候、理非之二つは, と申、塙大きに怒て、扨は大學抜かけ候や、ともかくも我等先陣たる上は、壹, 入て、やう〳〵にあつかい、大學を不見捨證據には、我等可立間無氣遣團右, 可申上、大軍を切拔罷歸候、早々被仰上可被下と申、豐前守、扨々左樣にて候, 塚又中に入て、此節かゝる口論不可然、何事も秀頼公之御爲に候と中直り, を追散し候處、團右衞門來りて、先かけを咎けな、大學兎や角と論し候處、平, 衞門跡より惣勢可參とて押て行、〓大學は淺野か手と小せり合いたし、敵, 格別にて候、御取上無之候はゝ、直に大野修理へ斷、上聞に達し、御仕置可罷, や、團右衞門討死を明白に御申之段、誠致感心候、左樣に實ある貴殿を申上、, 成と申故、無是非秀頼公へ申上たれは、團右衞門討死誠無是非、今に至て大, 元和元年四月二十九日, 四七四

  • 元和元年四月二十九日

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注記 (17)

  • 1690,649,61,2213人も先へは不罷成、我跡より來れと云て、同士軍にならんとす、平塚則中に
  • 872,653,61,2213竟拙者の先懸仕候故にて候、拙者も戰場にて討死可仕候得とも、此段をも
  • 990,655,60,2213死したる、大學は切抜て歸城して、森豐前守に申にるは、團右衞門討死は畢
  • 1105,649,61,2219爲致候へとも、兎角大學先へ進み戰候ゆへ、團右衞門無念に存し、終には討
  • 523,656,61,2213切腹爲致候事、何とも難忍候へは、是は聞捨に可致候、我等不聞分に被致、可
  • 406,656,60,2203然と申、大學申候は、扨く貴公には、番頭にも御似合不被成候、理非之二つは
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  • 1575,651,61,2216入て、やう〳〵にあつかい、大學を不見捨證據には、我等可立間無氣遣團右
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