『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.835

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申衆可有御座候、又引取申時、てきのい申つゝみへのりあ第申しかた、是, 持せあ學申候、己まへ人すくなに罷成候故、三つはみかたちへ引取候て, 又遠かけに見及ひ申衆多く可有御座候、七つのくひ四つは右のばより, さ〓右の先手銃將梅原勝右衞門武政は玉串の方へ押出せし處に、公の軍, 令によりて、若江の方へ押寄す、敵將木村長門守先手の兵、若江村中より東, かたまり、取申候敵のやりを手々にもたせ、ぢあしに乘まはしのき申ゆ, から持せあけ申候後、又あいうちに罷成候て、くひ二つ我等ものにとら, 候、後き松宮大藏、玉置太郎助前後に四人の衆見可申候、其外遠かけに見, せ申候くひ數合九つ、内六つはかふとつき、三つきすはた者にて御座候, 故、南へにきぬけ引取申處に、敵廿計に〓候て參候、然共我等もの八九人, へ向き、十三街道へ一騎打に押出すを見て、武政銃卒におりしかせ、六拾挺, へ、よくはつけ不申候、則堤にてきたて居申、二三十間南へのりあ〓候, ろ衆みへ申候間、其へ直に參度候得とも、其間き敵大勢にて取切い申候, て下を見申候へは、勘兵衞馬印其時は堤の下に見へ申候間、それへく, はり申候、右の仕合はしめは小川三郎右衞門、渡邊八左衞門慥に見て申, 若江ニ木, 梅原武政, 村重成ノ, 兵ト戰フ, 元和元年五月六日, 八三五

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  • 若江ニ木
  • 梅原武政
  • 村重成ノ
  • 兵ト戰フ

  • 元和元年五月六日

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  • 八三五

注記 (21)

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