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たこのことを台徳院殿了告壹てまつらんと〓、信濃國上田におもむき、, 台徳院殿將軍宣下御拜賀のとき、御參内乃供奉に列し、十一年、御普請の, 奉行をつとめ、後しは〳〵この事をうけたあはな、十二年六月二十二日、, いたり、あるひは仰をうきて、駿府に赴く事しは〳〵なり、九年七月、大猷, 筒井伊賀守定次か所領伊賀國に赴き制度の是非を監す、十三年、丹波國, とき、御使にさゝ殺て、江戸より清須におもむき、其軍の躰を見、また岐阜, のときも、父と共に戰功あり、十九年五月三日、相模國高座鎌倉二郡のう, しをまうに、これをきこしめして、敵兵敗走することをしらせたたふ、ま, りかたにむかふやと問〓たまふ、正次こたへて、大垣のかたにむかふよ, 落城せしよしをきゝ、其始末をたり〓て、具に言上せしかは、敵の口骸い, 院殿御生誕により、台徳院殿の仰をうけて、伏見に至り言上す、十年四月、, 途中にして言上す、六年、下總國香取郡のうちにをいて、千百石を加恩あ, り、後しは〳〵御使をうけたあはりて、越前越後加賀をよひ伏見水戸に, ちにをいて、釆地四百石をたまひ、御朱印を下さる、慶長五年、關原御陣の, 係山城普請のときも、〓視乃役を勤む、十四年二月、台徳院殿駿府に渡御, 元和元年五月七日, 關ケ原役, 元和元年五月七日, 四六二
頭注
- 關ケ原役
柱
- 元和元年五月七日
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- 四六二
注記 (19)
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