『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.617

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ニ敵前を覺しと物かたり也、, 敵味方互に相待て守り合候處に、本多三彌、米倉丹後守を御使にて、惣軍へ, 丹波兵粮つかいたり、最早餓鬼道へは落まし、眞直ニ闇魔の廳に可着也、, の高名仕り、少將殿御前へ出申候、是一番高名なり、其砌物見三度被遣候、, とは渡部牛兵衞持て罷在候、少將殿湯漬をまいり、御甲をめすとて、やあ, る、少將忠直立なから湯漬を聞し召す、御膳は眞子平馬持て罷在、御かふ, 立候に、只今に成り、勘氣を免すとは不聞へ事也と申氣色にて、御前をき, 右申候一番物見は武者奉行四人、二番物見は藤田、大河原、關根、伊藤、江川, 美六郎右衞門聞しに少も不違、渥美は片桐丹波か甥にて、その砌少將殿, 死出をのほるも心易しとて、御馬引寄召候有樣、古の猛將も是には不勝, の小性也、此時越前の備先と茶臼山と其間九町三反有しか、只二三町程, つと見て罷たち、其儘馬にて乘出し候、御先手鑓始り候とひとしく、甲付, と見へたまひし、さすが大御所の御孫なりと、皆々感候也、越前小性立渥, 三番物見は眞子丹波なり、丹波乘切て罷歸、頓な鑓はしまるへきと申上, 將殿御覽して、片桐勘氣ゆるすと被仰候御詞を承り、丹波頭を地に付罷, 者振, 家康義利, 頼將ノ會, 戰ヲ待チ, 忠直ノ武, 元和元年五月七日, 六一七

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  • 者振
  • 家康義利
  • 頼將ノ會
  • 戰ヲ待チ
  • 忠直ノ武

  • 元和元年五月七日

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  • 六一七

注記 (22)

  • 425,718,56,842ニ敵前を覺しと物かたり也、
  • 302,631,65,2205敵味方互に相待て守り合候處に、本多三彌、米倉丹後守を御使にて、惣軍へ
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