『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.714

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に侍りと答へたるよし也, これれつきて熟考れ、こは大坂の御いくけにはあらて、〓上義光朝臣の, 出羽國にて、いつこか敵城ををめられつる事乃ありけんに、つ手にも猛, つ手にものして出給へる指物にて、世々に傳へもてり、故東國にては名を, 武久庄兵衞、富田嘉兵衞といへるもの兩人なりき、もしかれらの内にて、此, て、たれそか關西の人のうちに、おなし指物さしたりし武士もありつるな, 得たる指物なりき、然るに大坂の御合戰にき、家親主き出給はさりしかは、, きいくさ許多あめる中に是は殊に思ひのまゝなる〓ありて、みつから, る武者あり、このさし物は、わか主家乃祖出羽守義光の朝臣の、いくさ毎に, 此繪もし大坂のいくさならは、此さし物はわか主家乃人にてはあらいし, るへし、いと心得ぬ〓なり、又かの節に、大坂への〓りしは、主家の臣にては, しや、今きこたへ申さんよしなし、さて此繪の中に、五輪の塔の指物さした, 主家に、東照宮より繪屏風給へりしよしの證文なたれは、さるをありやな, 繪かきて、土産ゆもて來しにや、さもあらはあれ、是も亦さらに證據なき事, もゆゝしき〓とおほすゆゑなとあるからに、其功勳を長く子孫に傳へ, トノ説, 大坂戰圖, 二アラズ, 元和元年五月七日, 七一四

頭注

  • トノ説
  • 大坂戰圖
  • 二アラズ

  • 元和元年五月七日

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  • 七一四

注記 (20)

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