『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.986

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簾中の御事御苦勞に思召故、煙の中馳廻り尋逢奉り、則帷子ニて姫君の御, 散し奉れは、羽〓大に喜悦し、御本陣へ移し申ぬ、甚して甚御感有て、羽〓面, 城主にて關原の後領知沒收考らまし安房守氏茂か子也、又南部左衞門は、, そ本意なれ、見苦躰哉と御對面なし、翌九日、二條の御城へ入奉り、又伏見御, 顏を隱し、下人に負せ奉り、我陣へ入奉る、漸輿に乘せ申、大御所の御憂苦を, らは、不撰貴賤妻女となし、其上賞禄を給らんと被仰出、然處ニ城より大野, 南部信濃守, 城へ渡らせ給ふ、堀内き、十六日將軍家へ被召出、則五百石被下、是き新宮の, 修理罷出、寄手之矢口を留め呼はりけるは、秀頼卿御臺樣可奉出、誰御受取, 目を施したる、然れとも將軍の、我き女成とも、秀頼と一所に身を沒して〓, 枚被下之、罪き信濃守可宥之由也、, 可有と云、折節坂崎出羽守貞盛居合承之、則城中え入て請取、堀内九助と云, 構有之者、達て御斷申上るゆへ、御知行き止られて、金五十, 大坂落去城中ニ火懸、秀頼卿以下御生害也、此時兩御所樣者、秀頼卿御臺樣, 之御事病敷被思召、誰人ニ而も、城中え走入、奧方を伴ひ出る者あ, 〔燒殘反古〕乾大坂落城之時、秀頼卿御臺樣御出之事, ), 後天樹院, と云也、, ○利, 直, ヲ救フモ, ノニ之ヲ, 家康千姫, 嫁セシメ, ント約ス, 嫁, 元和元年五月七日, 九八六

割注

  • 後天樹院
  • と云也、
  • ○利

頭注

  • ヲ救フモ
  • ノニ之ヲ
  • 家康千姫
  • 嫁セシメ
  • ント約ス

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 九八六

注記 (29)

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