『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.211

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る者なしとそ、是も西尾隆治か物語れり、, 念ニ參らせ度候、御身か御子孫へ傳へられて、薄田隼人正こそ、かく迄心を, たける天命也、今は再興の志しも盡果たり、然るニ此程我徒の者ゟ告越せ, 盡せしものと、後世迄語られんこそ、我寸志も達してこゝろよしと、〓と共, しは、關東の御詮義嚴したれは、此地にとまるへからす、早く立退へしとあ, 有けれは、基次と絶交せしか、大坂の役終りて後、彼地長町を通りかゝりて、, るうちと、曉またき立出たるか、夫ゟいつちへか行去けん、其後は風の便と, ニ語りたるにそ、主客互ニ〓ニくれなから、其夜すから語り明し、人目立さ, 士何某の先祖なる者、後藤又兵衞基次か舊友をりとそ、されとも關東方ニ, り、さあれは打語らふも、今宵一夜也、武門の義氣も是迄也とて、陣刀を取出, し、此大小二腰は〓早身ニ帶すへ文期なし、此程の御厚志ニめてゝ、是を記, 中川修理大夫殿の藩士長鹽又左衞門、ある時予ニ語りたるは、中川侯の藩, てもあらさりしと、件の大小は今ニ其家ニ傳へて、薄田か事、薩藩ニしらさ, 我徒の者共奇術を盡し謀れ共及かたく、時節至らさるは、秀頼公の御運開, 後藤, 後藤基次, 元和元年五月八日, 二一一

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  • 後藤基次

  • 元和元年五月八日

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  • 二一一

注記 (18)

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