『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.232

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を、幾たひも聞しなりと十六郎がいひしを、今の山本源右衞門か聞しとて, まひらせんと、御茶碗を臺にすへてもちて出るに、綿帽子を着たる女の、あ, なり、だ乃時には死し給ひしともおもひわかす、いやたゝ今御藥をまいら, せて候と申せしに、いや死なれたりと仰有しに、奧にて女中の泣聲のしけ, 〳〵心にいましめらるゝべきは、此一つになんありける, なたより來るの、祖母にとひしは、相國は死給ひしやといふを見れは淀殿, 語りし由、鳩巣のいひしなり、扨久世か祖母の十六郎にいひし樣は、此菊地, 御所にちかくめしつのわれしなり、大御所御他界の時に、かの祖〓御藥を, とのは見へ給はす、まさしく見まいらせたりし事なりとて、祖母が語りし, といふは、もと今木源右衞門か弟なり、今木大坂を出て加賀へ〓かへて、淺, 井と名乘、弟は菊地の家の養子となりたり、久世か祖母大坂にありし時、今, れは、さてはうせさせ玉ひしにやと跡をふりかへりて、さて見たりしに、淀, 祖母の語りし事有、此祖母はもと大坂の淀とのにつかへて、後に駿河の大, 九月三日にきく、加州の山本源右衞門いひしは、菊地, 十六郎, かたりしは、久世平助といふものゝ, 〔紳書〕八同〓, と號す、八十はり〓死ス, ○享保, 四千石を領す、錦里の弟子、秋〓, 四年, ノ時淺井, 家康薨去, 氏ノ靈米, トノ話, ヒ出デシ, 元和元年五月八日, 二三二

割注

  • と號す、八十はり〓死ス
  • ○享保
  • 四千石を領す、錦里の弟子、秋〓
  • 四年

頭注

  • ノ時淺井
  • 家康薨去
  • 氏ノ靈米
  • トノ話
  • ヒ出デシ

  • 元和元年五月八日

ノンブル

  • 二三二

注記 (28)

  • 504,638,64,2231を、幾たひも聞しなりと十六郎がいひしを、今の山本源右衞門か聞しとて
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