『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.559

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各三百石をたあひ、慶長十三年、忠次か時にいたり、故あり〓廣勝とお〓, にめし返されしものか、然れとも久世三四郎廣孝か家傳を按す多に、先, 〔寛政重修諸家譜〕, 祖三四郎廣宣は、大須賀康高か時より附屬をられ、坂部廣勝とおなしく、, る以前に似をりといたとも、このときす〓第に康勝卒し、忠次いまた彼家, なきにより、十二月、五郎左衞門忠次、榊原乃家跡を繼により、大須賀の舊, 八日、下總國海上郡乃釆地三千石たあはりしと、いまた御〓下に列をさ, 三四郎廣宣云々等乃數輩、御家にめし返さなといふ、これによれは、八月, 領は官におさめらな、こはのとを御〓下より附屬をら〓し廣勝及ひ久世, 相續の事命せら〓すといへとも、屬臣廣勝か〓きものき、先たち〓第御家, しく彼家を退き、武藏國多摩郡南澤村に蟄居し、大坂御陣のとき、廣宣、廣, 坂部廣勝, 今按すなに、榊原式部大輔政敦か家傳に、元和元年五月、榊原康勝卒し、嗣, 多候得共、幼少の族抔は不及聞も可有とおもへは、筆に任て書侍る、, 八日、下總國海上香取兩郡のうちにをいく、三千石の地をたまふ、, 遠州横須賀ゟ大勢參りし故、一列して住ける所の名也、是等の義知たる人, 御歸陣のゝち、八月, 五百七, 十六, 三十郎、三, 郎兵衞、略, 三十郎、三〇上, 郎兵衞、, 幕府ニ仕, 久世廣宣, 坂部廣勝, 坂部廣勝, 元和元年五月二十七日, 五五九

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  • 五百七
  • 十六
  • 三十郎、三
  • 郎兵衞、略
  • 三十郎、三〇上
  • 郎兵衞、

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  • 幕府ニ仕
  • 久世廣宣
  • 坂部廣勝

  • 元和元年五月二十七日

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  • 五五九

注記 (29)

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