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ね仰をかうふる、, 久世廣宣, き、台徳院殿、廣宣、廣勝か數度の戰功をおほしめされ、御跡より馳まい多〓, 城御出馬の刻、久世、坂部兩人は、參遠に於て、度々武功、世の知る所也、今度可, 慶長十九年、大坂御陣のと, きむ手仰をろうふり、直に參陣して東照宮に拜〓し、台徳院殿より釆配を, 時過て令參着故、御目見無之、重て時節を可相待旨老中差圖有之と云々、, たるひ、汝等か軍功き、年ころ見及ふところにして、珍とすなにたらに、此度, 今度則御使番に加り畢ぬ, 武功は勝れ〓るものともなれとも、三人ともに大我儘者にて、大須賀家の, き功を貪多事なく、少壯の輩を指揮し、進退其機を失はしむへからさなむ, 被召歸旨命有故、夜以て日につき、馳登る所也、今日の上意難有次第と云々、, は遠國に在て、命の傳ふる事殊の外延引して, 右の節渥美, 三家老とす、仕置銘々格々心のまゝに計ひ〓れは、家黨立て分々に成し故, 〔寛政重修諸家譜〕, は、大須賀五郎左衞門康高家へ御附被成たれは、後には家臣と成ゆへ壺り, 〔玉露證話〕八久世三四郎直廣、坂部三十郎廣勝、渥美源五郎脇〓、此三人, 參看スベシ, ニ見エタリ, 、○曩キニ久世廣宣、坂部廣勝ノ横須賀ヲ退去セ, シコト、十二年九月十一日、大須賀忠政卒去ノ條, 三四郎、三, 四百, ○勝, 六十, 左衞門, 吉, 使番等ヲ, 廣勝ヲシ, テ少壯ノ, 指揮セシ, 秀忠廣宣, 慶長十九年十一月十八日, 九八
割注
- 參看スベシ
- ニ見エタリ
- 、○曩キニ久世廣宣、坂部廣勝ノ横須賀ヲ退去セ
- シコト、十二年九月十一日、大須賀忠政卒去ノ條
- 三四郎、三
- 四百
- ○勝
- 六十
- 左衞門
- 吉
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- 使番等ヲ
- 廣勝ヲシ
- テ少壯ノ
- 指揮セシ
- 秀忠廣宣
柱
- 慶長十九年十一月十八日
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- 九八
注記 (35)
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