『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.569

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あけて後の考をまつ、, より肩へ揚る、高虎公御覽有て、二ツ重て揚へし、一ツは誰にても揚るそ, れ之、本多佐渡守の死をさることすてに十二年なり、されとも本多侯の、, を荷ふ、上下の輩數百人附下る、道中の見物寸の間せきて並居たり、既に, 符合せり、封地の事之、加藤侯の事とこんしたるななへし、今覺書のまま, しあり、眞紅の組緒にて是を黨、式法として金は八人銀は四人にして是, と仰けれは、何とて二ツは及なき事なりと閣たり、如斯頓仰の御意遣、神, へ揚るにおいてはあたふゑしとなり、問屋が子、殊の外おもく候といひ, 公の加封のことを沮められしこと、南光大僧正の悔みを述られし事と, 江府へ下着の日、高虎公品川の問屋迄出向せ給ふ、こゝに問屋が子に無, 言行録高虎公御在江戸、金銀の千枚分銅二ツ、御領國より江府へ御下, 寛政四年、蒲生下野守卒去にて封を除し、加藤侯封せられし時の事とす, は二十萬石とありて、地のことなし、此時會津と蒲生下野守の領地なり、, 雙の強力あり、金の分銅を試に提らる、高虎公御意有けるは、汝分銅を肩, 變にして人倫にはあらすと沙汰しけるとなり、, 元和元年五月二十八日, 元和元年五月二十八日, 五六九

  • 元和元年五月二十八日

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  • 五六九

注記 (18)

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