『大日本史料』 12編 24 元和二年二月~同年四月 p.446

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いふ名を賜はりし時、御句, ほくひをもかきとるあきのもなか哉, 同しとし、關原にむかは努給ふとて、參河國を過さ努給むけるに、鈴木忠, 兵衞重次か知所、加茂郡則定村の枋を奉りけるを、御感ありて、古志武と, む, 寺へ被爲成、景色并井水乃流式被遊上覽候、御歌云々、右ニ府山號く秋, 軒と申僧徒呼下し、住職に仕候〓、則福田寺と號し、翌年九月、右之福田, 者女筆なり、おあちやの方乃筆跡といふ、流乃井今毛谷水し〓リに, 御詠草とて、今此寺に什物として相傳ふ、松高め云々、この御詠草し筆, 郡、秋月山福田寺といふ、志津機山總持院乃北乃峰なる麓にあり、藤澤, 一首の高詠况殘し給ひしより、秋月山福田寺と號をるよし、けの時, 月山と號し、只今相續仕候、又駿河國志に、丸山寺、時宗、御朱印八石、安倍, 二日、神君また此所へ御遊獵のいて、この寺へいらを休らひ壹たひ、, 日島田、七日中泉、八日白須賀、九日岡崎、十一日清洲、十三日岐阜、十四日, 山我丸山と稱しぬ、後藤氏檀越となり、其翌年慶長庚子のとし九月十, い〓かの山の井在、いとひ屋ゝかにいさきよし、守重按に、駿河國志, 亦坂、岡山に陣し〓まふと見を、然れは九月十三日の月日誤あるなら, 尋、京都丸山に似寄候間、一寺黨建立仕候樣上意こ付、京都丸山ゟ徳陽, 清淨光寺之末寺也、慶長の頃、神君御放鷹のとき、此所に休らひ給ひて, の丸山乃景趣にさも似たりとのたたひ、それより倫式承はりて、光次、, に、この御歌黨、九月十三日、御遊獵の時の事とす、然れとも、慶長記或〓, 京より丸山の寺僧徳養軒を呼下し、一寺を建立し都の名によりて、此, むかふ乃山々黨尋ねとはを給ひしかは、折節後藤圧三郎光次、御側, はへり、東にあたりてみ〓るは、八幡山清水愛宕山なと申上けれは、都, するに、こ〓歳九月、關原御陣あり、同月朔日、江戸御進發、五日清見寺、六, 元和二年四月十七日, 四四六

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  • 寺へ被爲成、景色并井水乃流式被遊上覽候、御歌云々、右ニ府山號く秋
  • 軒と申僧徒呼下し、住職に仕候〓、則福田寺と號し、翌年九月、右之福田
  • 者女筆なり、おあちやの方乃筆跡といふ、流乃井今毛谷水し〓リに
  • 御詠草とて、今此寺に什物として相傳ふ、松高め云々、この御詠草し筆
  • 郡、秋月山福田寺といふ、志津機山總持院乃北乃峰なる麓にあり、藤澤
  • 一首の高詠况殘し給ひしより、秋月山福田寺と號をるよし、けの時
  • 月山と號し、只今相續仕候、又駿河國志に、丸山寺、時宗、御朱印八石、安倍
  • 二日、神君また此所へ御遊獵のいて、この寺へいらを休らひ壹たひ、
  • 日島田、七日中泉、八日白須賀、九日岡崎、十一日清洲、十三日岐阜、十四日
  • 山我丸山と稱しぬ、後藤氏檀越となり、其翌年慶長庚子のとし九月十
  • い〓かの山の井在、いとひ屋ゝかにいさきよし、守重按に、駿河國志
  • 亦坂、岡山に陣し〓まふと見を、然れは九月十三日の月日誤あるなら
  • 尋、京都丸山に似寄候間、一寺黨建立仕候樣上意こ付、京都丸山ゟ徳陽
  • 清淨光寺之末寺也、慶長の頃、神君御放鷹のとき、此所に休らひ給ひて
  • の丸山乃景趣にさも似たりとのたたひ、それより倫式承はりて、光次、
  • に、この御歌黨、九月十三日、御遊獵の時の事とす、然れとも、慶長記或〓
  • 京より丸山の寺僧徳養軒を呼下し、一寺を建立し都の名によりて、此
  • むかふ乃山々黨尋ねとはを給ひしかは、折節後藤圧三郎光次、御側
  • はへり、東にあたりてみ〓るは、八幡山清水愛宕山なと申上けれは、都
  • するに、こ〓歳九月、關原御陣あり、同月朔日、江戸御進發、五日清見寺、六

  • 元和二年四月十七日

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  • 四四六

注記 (27)

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