『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.125

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

滅せりとなり、, とも、御一同に肩を御ならへなさるゝは、これ雅樂頭殿眞實の御忠信なり、, しを、生付よき事を雅樂頭殿御見付被成、自宅に被召置、御前さまへ御取な, 老功の雅樂頭殿なとゝ、同道有へお事也、况や大炊頭殿は、甚三郎殿と申せ, し被成、今大炊殿と御成候也、是偏に雅樂頭殿御忠信深きゆへ也、如此なれ, り、雅樂頭殿、大炊殿肩を並へて御同道なり、尤格式とは申なから、時々は御, 上野殿は左もなくして、侈つよく、上野殿宅へは、毎朝見廻衆、上樣の御玄關, 其子ノ上野介正純、慶長五年ノ比ハ、纔ニ十八歳ナリシニ、御敵第一ノ石田, 三成ヲ預ケサセ玉フ程ノ者ニテ、天下鴻業ノ臣〓可申歟、都ヘテ大神君御, 叶神慮、謀臣ノ其獨ニ被召仕、秀忠公御在江戸之比ハ、鹽梅第一ノ臣ニ被附、, 本多佐渡守正信ハ、初ノ名ハ彌八ト云テ、外樣小身ノ者ナリシカ、大神君ノ, よりも中〳〵多し、是みな上樣の御恩ぬかお故成に、高々と被心得、身代破, くをこり強く、登城の時も、上野介壹人先達而被參候へは、二三間ほと跡よ, 〔武埜燭談〕十本多佐渡守正信事古代執權批判之事上野介正純江, 教訓之事, 傲, 正純ノ驕, 元和二年六月七日, 一二五

頭注

  • 正純ノ驕

  • 元和二年六月七日

ノンブル

  • 一二五

注記 (19)

  • 1033,631,55,426滅せりとなり、
  • 1361,641,78,2220とも、御一同に肩を御ならへなさるゝは、これ雅樂頭殿眞實の御忠信なり、
  • 1597,639,76,2209しを、生付よき事を雅樂頭殿御見付被成、自宅に被召置、御前さまへ御取な
  • 1713,639,77,2208老功の雅樂頭殿なとゝ、同道有へお事也、况や大炊頭殿は、甚三郎殿と申せ
  • 1481,636,78,2216し被成、今大炊殿と御成候也、是偏に雅樂頭殿御忠信深きゆへ也、如此なれ
  • 1827,640,82,2212り、雅樂頭殿、大炊殿肩を並へて御同道なり、尤格式とは申なから、時々は御
  • 1244,633,80,2216上野殿は左もなくして、侈つよく、上野殿宅へは、毎朝見廻衆、上樣の御玄關
  • 424,622,83,2212其子ノ上野介正純、慶長五年ノ比ハ、纔ニ十八歳ナリシニ、御敵第一ノ石田
  • 306,620,85,2215三成ヲ預ケサセ玉フ程ノ者ニテ、天下鴻業ノ臣〓可申歟、都ヘテ大神君御
  • 542,625,81,2223叶神慮、謀臣ノ其獨ニ被召仕、秀忠公御在江戸之比ハ、鹽梅第一ノ臣ニ被附、
  • 658,629,81,2201本多佐渡守正信ハ、初ノ名ハ彌八ト云テ、外樣小身ノ者ナリシカ、大神君ノ
  • 1126,638,78,2206よりも中〳〵多し、是みな上樣の御恩ぬかお故成に、高々と被心得、身代破
  • 1943,649,76,2203くをこり強く、登城の時も、上野介壹人先達而被參候へは、二三間ほと跡よ
  • 891,558,108,2289〔武埜燭談〕十本多佐渡守正信事古代執權批判之事上野介正純江
  • 795,774,60,268教訓之事
  • 1959,281,41,39
  • 2000,282,45,173正純ノ驕
  • 226,704,49,348元和二年六月七日
  • 208,2441,45,111一二五

類似アイテム