『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.505

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三日, ればなり、, 堂塔を看たり、此等は莊麗を極めしものにて、天主教僧院の如く、周圍に僧, 院を遶らし、坊主即ち異教僧侶は、基督教國のフライヤー及びモンクの如, 此丘は、二十四五年前、太閤樣が朝鮮を征伐せられし時、〓されし朝鮮人の, 少の疼痛なきにあらず、, 耳及び鼻にて築かれしものなりと、我等は終に右の外、多くの記念物竝に, く、奢侈なる生活をなせり、察するに、基督教僧侶は、彼等に倣ひしならん、盖, し異教の由來は、更に古きものにして、基督教徒の如く、數多の宗派を有す, には、天主教の墓地に於ける十字架に似たる石柱立てり、聞く所に依れば、, ものにして、有名なる世界の七不思議に勝れるものとすべし、, 又大佛殿の東門前に、稍大なる圓丘ありしことを記さゞるべからず、丘頂, 他は雷を現はしゝなり、要するに此堂は、予が嘗て見たる最も歎賞すべき, キヤプテン・アダムス、此日京都に來りぬ、負傷は快癒したれども、尚肩に多, 予は銀箔を被せたる茶碗三箇を買へり、, 元和二年八月二十日, カヽル、元年七月, 和二年十月五日ニ當ル, ○新暦十三日ニシテ、元, 十日ノ條ニ收ム、, ○中略、豐國, 社ノコト二, 耳塚, 世界七不, 坊主ノ奢, 思議ニ優, 侈, ル, 元和二年八月二十日, 五〇五

割注

  • カヽル、元年七月
  • 和二年十月五日ニ當ル
  • ○新暦十三日ニシテ、元
  • 十日ノ條ニ收ム、
  • ○中略、豐國
  • 社ノコト二

頭注

  • 耳塚
  • 世界七不
  • 坊主ノ奢
  • 思議ニ優

  • 元和二年八月二十日

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  • 五〇五

注記 (30)

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