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大夫に對面し, 敵もなく、頼むかひなけれはとて、〓に自害とありしを、寺主證譽押留め、娑, 後藩, 座下に法問論議し、又諸山を經廻し、天正八年増上寺へ入寺し、法席につら, る時、三男仙千代丸八歳なりしを、めのとの兄蒲原兵庫ひそあに隱し遁れ, 代小鍛冶宗近の刀を、是まて守刀とせしを、初て證譽に讓り、學問出精あり, 婆の定めなき事、生者必滅のことわりをのへ、先祖父母の菩提の因を植へ, の幽要を求探らんかため、元龜三年申春、川越蓮馨寺へ初入寺、感譽上人の, 出て、同國佐賀の正定寺に忍置、再ひ歸城の謀慮をめくらし、おり〳〵家士, なり、感譽上人遷化のゝちき、觀智國師の嗣法上足となりて、一時の法將た, の隱家をもとめ、密談有て、〓に仙千代丸十三歳の時、同九寅年、旗上なして、, 軍兵を率ひ、同年春、かの菊地の者ともを攻落しけれは、仙千代丸今き世に, き事、ふんころに勸諭ありしかは、つひに剃度し、證譽の弟子となり、家の重, 舊城を攻べき事を島津家にも折々通しける時、龍造寺肥前守隆信、數萬の, しらは、もとより聰明絶倫、内外の典に渉獵ありしのち、十八歳時、遙に傳法, り、天正十八年寅十月、常陸國江戸崎にいたり、説法勸化の時、城主蘆名修理, 元和三年正月二十一日, 東國戰記を案るに、江戸崎城主は、此ころ土岐美濃守な, り、寺記又同し、廬名は會津より沒落し來たれるなり, 増上寺存, 應ニ從フ, 元和三年正月二十一日, 四八二
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- 東國戰記を案るに、江戸崎城主は、此ころ土岐美濃守な
- り、寺記又同し、廬名は會津より沒落し來たれるなり
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- 増上寺存
- 應ニ從フ
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- 元和三年正月二十一日
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- 四八二
注記 (23)
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